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スケートボード「金」吉沢恋、ひたむきな滑り込みでメイク率高める…「ここ」の名を世界に

読売新聞 / 2024年7月29日 1時46分

女子ストリート決勝で笑顔を見せる吉沢恋選手(28日、パリで)=三浦邦彦撮影

 パリ五輪は第3日の28日、スケートボード女子ストリートで、吉沢恋(14)(ACT SB STORE)が金メダルに輝き、赤間凛音(15)が銀メダルだった。

 スケートボードをやめるはずだった中学3年の少女の快進撃は、五輪でも続いた。女子ストリートで金メダルを取った吉沢 ここ選手(14)。大会前に願った通り、その名は多くの人の記憶に刻まれた。(上田惇史)

 小学校を卒業したら「引退」するつもりでいた。7歳で始めたスケボーは転ぶと痛い。中学では「部活もやってみたい」と思っていた。地元の相模原市で滑るだけだったから、トップ選手の名前も知らなかった。

 小学6年の夏に行われた東京五輪。当時13歳の西矢 もみじ選手が高難度の「ビッグスピンボードスライド」を決めて優勝した。自分が小5で習得した技だった。

 「もしかしたら、私にも可能性があるんじゃないかな」。当時はコロナ禍で大会がなく、自分の実力をよく分かっていなかった。

 その年の12月、初めて出場した日本選手権で5位に入る。学校が楽しく、中学生になっても競技を続けるかどうか心は揺れた。娘のサポートのため、保育士から介護支援員に転職した父の功さん(58)に言われた。

 「やめるより続けることの方が難しい。頑張ってきたことを台無しにするんじゃなくて、続けてみたら」。その言葉で心を決めた。

 器用さはないが、同じ練習をいくらでも続けられるひたむきさがある。この技をやると決めたら、午後10時に施設が閉まるまで、ずっと挑戦し続けた。

 習得まで2、3年かかった技もあった。自分のものにするまでの期間が長い分、「メイク率(成功率)には自信がある」。失敗の少なさが武器になった。

 国内での好成績が評価され、人生で初めて飛行機に乗ってイタリアでの国際大会に出たのが2022年。いきなり6位になった。

 平日でも3~4時間の滑り込みを欠かさない。けがを減らそうと、幼少期にやっていたトランポリンを取り入れ、体幹トレーニングにも励んだ。

 三つの出場枠をかけた日本選手の選考レースは激戦となり、3月時点で5番手。残る2戦で3位、1位の好成績を収め、日本勢トップで五輪切符をつかむ。

 最終戦で決めたのは、1年以上かけて身につけた大技だった。目を輝かせながら、「五輪でも1位を取りたい」と宣言した。

 恋と書いて、「ここ」と読む。間違えられることも多いが、気に入っている。「自分の名前が、少しでも頭の片隅に置いてもらえるようになりたい」

 そんな願いを持って挑んだ晴れ舞台で優勝し、自らの名を世界に知らしめた。

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