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スケボー赤間凛音「みんな友達だけど、負けない」…喜びと悔しさが入り交じった「銀」

読売新聞 / 2024年7月29日 10時51分

女子ストリート決勝で演技する赤間凛音(28日、パリで)=三浦邦彦撮影

 喜びと悔しさが入り交じった初めての五輪だった。スケートボード女子ストリートの高校1年生、赤間 凛音 りず選手(15)の夢は「世界で活躍するスケーター」。銀メダルを取り、その第一歩を踏み出した。(上田惇史)

 決勝でも腰まで伸びた髪を束ね、金色に染められた毛先を揺らしながら、技を次々と決めた。4歳の頃から同じヘアスタイルは、「自分と言ったら『これ』となっているから変えられません」と笑う。

 サーファーだった父、竜児さん(48)と陸上練習用のボードに乗ったのは、7歳の時。近所の坂道を下ると、風が爽快だった。

 スケボーを始めたいと言うと、サーフィンをやらせたかった父に「やるからには世界一を目指すんだよね」と聞かれ、うなずいた。それが自分の夢になった。

 地元の仙台市のスクールに通い、毎日のように滑った。週末には、レベルの高い関東の大会に出向く。充実した施設がある新潟県村上市では、車中泊をしながら練習した。いつも父がハンドルを握ってくれた。

 東京五輪は惜しくも出場を逃した。中学生になって急激に身長が伸び、感覚に狂いが生じていた。自分が思っているように板を操れず、「スケボーがあまり好きじゃなくなった」。

 日本勢が大活躍した本番を見て変わる。「うれしかったけど、みんなが遠い世界に行ってしまったようで悔しかった」。表彰台に上がったのは、競い合ってきたライバルたちだった。

 気持ちを入れ替えると、約5か月後の日本選手権で、東京五輪金メダリストの西矢 もみじ選手(16)らを破り、12歳で初優勝した。

 パリへの道のりは険しかった。一昨年に右膝の後十字 靱帯 じんたいを断裂した。昨夏には大会の公式練習中、高さ2メートルから落下。右の鎖骨と骨盤を折った。医師の診断は「全治半年」だった。

 「もうオリンピックは無理だ」と思った。救ってくれたのは、両親が探してくれたトレーナー。「ケガする前よりも、強くなって戻ろう」と言ってくれた。

 リハビリと並行しながら、全身の筋力を強化した。毎日1時間、厳しいメニューに涙を流しながら取り組み、2か月もたたずにボードに乗った。

 偏食だった食生活も改善した。野菜が大の苦手だったが、「キャベツはいけるようになりました」。リハビリ期間が終わると、ジャンプの高さが増していた。

 「みんな友達だけど、負けない気持ちも忘れずに挑む」。言葉通り、決勝でも吉沢恋選手(14)、中山楓奈選手(19)と競い合った。

 途中までトップに立ちながら2位となり、涙を流した。それでも、すぐに前を向いた。「友達と一緒に取ったメダルなので、すごくうれしい。次は絶対に金メダルを取ります」

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