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反発から「柳ヶ瀬の象徴に」…岐阜県唯一のデパート・岐阜高島屋、7月いっぱいで閉店

読売新聞 / 2024年7月30日 13時53分

利用客らの感謝の言葉で埋め尽くされた岐阜高島屋のメッセージボード(29日、岐阜市で)

 岐阜県内唯一の百貨店である岐阜市の岐阜高島屋が31日に営業を終える。1977年の開店以来、県民に親しまれた柳ヶ瀬地区のシンボルは、閉店を前に多くの客でにぎわっている。一方、閉店後も同じ場所での営業継続を決めた店舗もあり、新たな動きも始まっている。

◆惜しむ声多く

 「とてもさみしいです。今までありがとうございました」「たくさんの出会いと思い出をありがとう」――。岐阜高島屋1階に今月設置されたメッセージボードは、利用客らの感謝のメッセージで埋め尽くされている。

 同店は77年9月にオープン。大規模改修を繰り返しながら営業を続けてきたが、建物の老朽化や業績悪化などを理由に昨年、閉店が決まった。

 開店当初から通う同市の女性(75)は「子どもが独り立ちするまで、ずっと一緒に来ていた。ベビーカーを押して行ったこともあったし、大きくなってからもレストランで食事をした」と懐かしむ。特にお中元やお歳暮では重宝したといい、「人にあげるものは高島屋で買っていた。(伝統の)バラの包み紙だと、もらってもうれしい。閉店は寂しい」と惜しんだ。

 近くの食料品店で働く女性(83)は友人とよくウィンドーショッピングを楽しんだ。「『いい物を買う』といったら高島屋。閉店が迫ってきたが、実感がわかない」と語った。

◆最初は反発も

 市の中心市街地活性化基本計画でも、「柳ヶ瀬の集客性を維持、向上するうえで必要な施設」と位置づけられてきた岐阜高島屋だが、開店時は歓迎ムードばかりではなかった。柳ヶ瀬地区で食料品店を営む70歳代男性は「最初は反発もあったと聞く。お客さんが取られるのではないかという不安があった」と明かす。

 当時の柳ヶ瀬地区には岐阜近鉄百貨店(旧丸物百貨店)があり、2年前には長崎屋岐阜店も開店していた。岐阜市の女性(83)は「また新しいものが出来たというくらいの印象だった」と振り返る。

 その後、他の百貨店が撤退し、岐阜高島屋の存在感がより高まった。岐阜柳ヶ瀬商店街振興組合連合会(柳商連)の林亨一・前理事長(58)は「最初は『敷居が高いものが来た』というイメージだった。数十年かけて、柳ヶ瀬の象徴となっていった」と指摘する。

◆閉店後を模索

 閉店後を見据え、商店街の再活性化に向けた動きも出ている。

 二つの別館でそれぞれ営業する3店舗は、同じ場所での営業継続を決めた。南側別館の衣料品店「岐阜高島屋パパス・マドモアゼルノンノン」は「パパス・マドモアゼルノンノン岐阜店」として営業する。運営会社は「地元の方から長くご愛顧いただいており、引き続き営業することにした」としている。隣の喫茶店「井ノ口珈琲スタンド 金神社前店」も営業を続ける。北側別館の生活雑貨店「無印良品 岐阜高島屋」は、店名を「無印良品 柳ヶ瀬」として再出発する。

 柳商連の水野琢朗理事長は「高島屋はこの地で営業を続けて愛されてきた。今後は自分たちでお客さんを集めて、盛り上がりを受けついでいきたい」と、意気込んでいる。

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