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和歌山毒物カレー事件めぐるドキュメンタリー「マミー」…フリーズした視線を再起動させる

読売新聞 / 2024年8月2日 11時0分

 1998年7月、地域の夏祭りで提供されたカレーを食べて67人がヒ素中毒を発症し、そのうち4人が死亡する「和歌山毒物カレー事件」が起きた。カレーにヒ素を混入したとして殺人罪などに問われ、2009年に死刑が確定した林真須美死刑囚は無実を訴え続け、今年2月、3度目の再審請求を申請している。どういうことか。二村真弘監督による「マミー」は、26年前の事件とその後先を再検証するドキュメンタリーだ。(編集委員 恩田泰子)

 往事の報道に触れていた人の多くは、「林真須美」という名前とともに、自宅を取り囲んでいた報道関係者に、ホースで水を浴びせる姿を思い出すのではないだろうか。

 逮捕される前から、彼女と、その夫・健治氏に対する報道は過熱していた。事件前にも現場地域でヒ素中毒事件が起きていたことが報じられた。誰かが中毒で入院するたび林夫妻が保険金を得ていた疑いが噴出した。夫も妻からヒ素を飲まされていたと報じられると、疑惑は彼女に集中した。尋常でない数の報道陣が集まった。その渦中で「こちら」側にホースを向ける彼女を世間は見た。

 「マミー」というドキュメンタリーは、その強烈なイメージの前でフリーズしていた人々のまなざしを再起動させて多方向に振り向ける。そんな役割を果たす作品のように思う。

 再審開始を訴えている真須美死刑囚と弁護団は、カレー事件の目撃証言、科学鑑定、保険金詐欺事件における証言に疑義があるとしているという。それはどういうことなのか。二村監督は取材を重ね、見せていく。夫・健治氏のあけすけな話、確定死刑囚の息子として生きてきた長男の克己的な言動、真須美死刑囚の手紙の言葉を通して、この家族のかたちを浮かび上がらせながら、再検証を進めていく。

 何げないが示唆に富んだ場面がある。それは、駅前で真須美死刑囚の無実を訴える支援者たちと、通りかかった男性のやりとり。男性は真須美死刑囚が「やった」と思っていると言う。事件の経過もずっと見ていたし、もう死刑判決も出ているのだから、と。世間一般の人も、彼と似たり寄ったりだろう。もう終わった、と思っている。でも実は、四半世紀前に目の前にあらわれた強烈なイメージで何かにふたをしてしまったのではないか。この映画は、ふたをあけて、イメージの向こう側に分け入っていく。視界からこぼれ落ちていたもの、伝わってこなかったものをつかみだして、観客に差し出そうとする。

 見ていて非常に重要に思えるのは、余白とでもいうべき時間だ。誰かの言動、再検証の内容を伝えるだけでなく、その前後に異なる視点で何かをじっと映し出す。たとえば、事件現場で献花する男性の姿を一歩ひいて撮影した時に見えてくるもの。たとえば、誰かが何かを語る前後の様子。一点だけ凝視していたら見えてこないこと、感じられないこと、そうしたものに思いをめぐらす時間を観客に与える。

 そうやって映画は進んでいくのだが、終盤になってふと様子が変わる。捜査や司法、報道のあり方への疑問を確認する試み、つまり取材が、ある時点から空振りに終わっていくからだ。隔靴 掻痒 (そうよう)の状況で監督が過ちを犯したことを明らかにして映画は終わる。

 ただ、この映画は、ドキュメンタリストの敗北の記ではない。前へ進めなくなる地点がどこにあるのかを可視化したこと、フリーズしていた視線を解放する試みには、大きな価値がある。和歌山毒物カレー事件のみならず、日本社会の現在の構図をもう一度見据え、考える上でも。上映に先立ち、本作に登場している男性に対して、映画公開に関連する 誹謗 (ひぼう)中傷や嫌がらせが相次いだというが、そのような行為はむろん言語道断だ。

 見て、考える機会を奪われてはならない。ましてや、自分で封じるわけには、もう、いかない。

◇「マミー」=2024年/119分/製作:digTV/配給:東風=8月3日から、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラム、大阪・第七藝術劇場ほか全国順次公開

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