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岡慎之助「五輪に出る」思い貫き金メダルへ開花、けがをしても「強くなるチャンス」「戻れる」

読売新聞 / 2024年8月1日 19時28分

 幼い頃から「五輪に出る」と信じて疑わなかった。体操男子個人総合で王者になった岡慎之助選手(20)。強い信念は、逸材として注目されながら、成長痛や大ケガで苦難の日々を過ごしても揺るがなかった。その才能はパリで一気に花開いた。(蛭川裕太)

 身長1メートル60に満たない体で雄大な演技を見せた。金メダルが決まると、観客席に笑顔で手を振り、日の丸を手に、会場をゆっくりと歩いて勝利をかみしめた。「練習の成果が金メダルにつながってうれしい」とにこやかに語った。

 幼少期から運動能力は際立っていた。保育園で誰にも教わらず、逆上がりができるようになった。複雑な動きを頭でイメージした通りに体で表現できる。

 小学2年の時、地元・岡山の体操スクールで本格的に競技を始めた。初めて取り組む技も一発で成功させた。倒立を覚えると、自室から風呂場までの数メートルを逆立ちで歩き、照明のスイッチを足の指で押して両親を驚かせた。

 指導した三宅裕二さん(57)は「体の柔軟性と美しい姿勢を持っていた。ずっと見ていたいと思うような体操をしていた」と振り返る。

 基礎を徹底的にたたき込まれ、1時間倒立を続けたこともあった。練習で手のひらのまめがつぶれ、皮がむけても、表情を変えずに続けた。いつしか「倒立は自分の中で休憩と同じ」と思えるほどになった。

 「ひたすら練習し、三宅先生が作り上げてくれた」という美しく、しなやかな体操に自信があった。小学生の頃から「五輪に行けるものだ」と信じていた。

 中学3年で出場したアジアジュニア選手権では、2学年上の橋本大輝選手(22)を抑えて3位。卒業後に社会人の名門・徳洲会に入ると、高校1年の世界ジュニア選手権で優勝した。五輪は手の届く所にあった。

 そこから苦しい日々が始まる。練習の負荷に成長痛が重なり、左手首は家の鍵を回せないほど痛んだ。試合に出ても負担のかかる技はできない。「結果を残せず、焦りもあった」

 東京五輪の選考会だった2021年の全日本選手権は60位で予選落ち。ホテルの部屋で悔し涙を流した。22年には跳馬の着地で、右膝前十字 靱帯 じんたいを完全断裂した。落ち込まない。「強くなるチャンス」と捉えた。

 手術から1か月後にはつり輪を始めた。つり下げられたロープを腕の力だけで上がるといった基礎トレーニングを繰り返した。「五輪という目標があったから、戻れると信じていた」

 緊張しやすく、小中学生の頃は試合の大事な場面でミスを繰り返した。仲間からは、失敗してみんなが沈黙するという意味を込めて「チン」と呼ばれていた。

 もうその頃の姿はない。この日、全ての演技をほぼノーミスで終えた。「緊張をかみ締めながら、楽しんでできた」と言った。ようやくたどりついた舞台でニューヒーローになった。

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