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着物店の看板娘は103歳、きょうも笑顔でお出迎え…「家族と一緒に商売続け最高」

読売新聞 / 2024年8月2日 12時51分

元気に店番をする藤山久子さん(右から2人目)を囲む誠一郎さん(左)と2人の娘たち(高知市で)

 103歳になっても、元気に着物店で店番をする「看板娘」がいる。高知市南はりまや町の藤山久子さん。戦前、戦後を生き抜き、女社長として商売を切り盛りしながら、街の移り変わりを見てきた。家族や好きな着物に囲まれ、今日も笑顔で客を出迎える。(上田昌義)

 「色々と見ていってくださいね」。2階は本業の貸し衣装「わかば」、1階はリユース着物や和小物を扱う「ひまつぶしの館」。彩り豊かな着物や生地が並ぶ1階奥の椅子に座り、定休日以外は休みなく出勤する。「なじみのお客さんやお友達がたくさん来てくれて、話をするのが楽しい」

 1920年(大正9年)、同市中島町生まれで、実家は「土佐式 毛鉤 けばり」を作る釣具店。戦時中はいの町に疎開した。実家は空襲で焼け、戦後しばらくは家業を手伝っていたが、54年(昭和29年)、祖母が着物を収集していたことから、同市帯屋町に貸し衣装店を創業した。

 婚礼の花嫁衣装などを貸し出した。着物から洋服へと時代が変わり、扱う衣装の種類は変わったが、日本中が好景気に向かう時代。成人式や卒業式などで商売は繁盛した。商店街にアーケードができ、映画館が立ち並んだ。「帯屋町が街の中心になって、それはにぎやかになった。映画やショーをよく見に行った」

 創業した年に生まれた長男で現社長の誠一郎さん(70)は、働いている母の姿しか見たことがない。夜遅くまで衣装の寸法を直したり、アイロンをかけたり。中村支店や安芸支店ができると車で県内を駆け回っていた。花嫁がカツラをしたまま乗降しやすいよう改造した車を考案し、特許も取得した。

 店は何度か場所を変わり、85年に現在の場所に。2年後、誠一郎さんに経営を委ねた。その後、市内でリユース着物の店を始めたが、2009年には現在地の貸し衣装店と同居。誠一郎さん、長女の照さん(81)、次女の恭子さん(72)も含め、助け合って続けてきた。

 大きな病気をすることもなく、外出時は車椅子だが、介助してもらいながら自分の足でも歩く。定期的に美容院に連れて行ってもらい、おしゃれにも気を配る。そんな元気な姿を見るために、店にやってくる人や、アイスクリームなどを買ってきて雑談していく人もいる。

 着物もインターネット通販される時代だが、誠一郎さんはネット販売なども取り入れながら、対面での商売を守っていきたいと考えている。来客を大切に、品物を手に取ってもらうという、母が大切にしてきた商売のやり方だから。

 「うちの着物を着て、喜んでもらえた時が一番うれしい。家族と一緒に商売を続けられて最高です」と久子さんは笑顔を見せた。

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