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女子フルーレ団体「銅」の宮脇花綸、「破天荒」目指して「フレッシュ」武器に主導権

読売新聞 / 2024年8月2日 20時57分

フェンシング女子フルーレ団体で銅メダルを獲得した宮脇花綸選手(1日、パリで)=三浦邦彦撮影

 パリ五輪のフェンシングは1日の女子フルーレ団体で、日本(東晟良=共同カイテック、上野優佳=エア・ウォーター、宮脇花綸=三菱電機、菊池小巻=セガサミー)は3位決定戦でカナダを33―32で破り、フェンシング日本女子勢では初めてのメダルとなる銅メダルを獲得した。

「立ちくらみが起きるぐらい」仲間と喜ぶ

 座右の銘は「破天荒」。誰もできなかったことを成し遂げてみせる。その言葉通り、日本のフェンシング女子に初のメダルをもたらした。3位になったフルーレ団体の宮脇 花綸 かりん選手(27)。諦めかけた舞台に立ち、仲間とともに新たな扉をこじ開けた。

 カナダとの3位決定戦。アンカーの上野優佳選手(22)が、1点差で相手の猛追を振り切る。歴史的な勝利が決まると、宮脇選手は顔をくしゃくしゃにして駆け寄った。

 「五輪は特別な緊張感があった。立ちくらみが起きるぐらいうれしかった」。仲間と抱き合うと、みんなで日の丸を広げながら、跳びはねるようにピスト(競技台)を駆けた。

 東京都内の自宅近くのフェンシングスクールで、5歳で剣を握った。駆け引き次第で、年上の男の子にも勝てた。その瞬間の「全身の血液が沸騰するような感覚」に魅せられた。

 高校3年で出場した18歳以下の国際大会「ユース五輪」で、銀メダルを獲得した。だが、五輪はリオデジャネイロに続き、自国開催の東京も落選する。

 「このまま続けるべきなのか。私は五輪選手になれるのだろうか」。やめようと思った。当時24歳。屈指の進学校の慶応女子高を経て、慶応大を卒業した。

 友人たちは社会に出て、それぞれの道を歩み始めていた。選手を続ければ、社会人としてのキャリアは積めない。「働く道もあるのではないか」と思った。

 悩んだ末に出した結論は競技の続行。「何も成し遂げていない」という思いが勝った。「無駄になるかもしれないけど、やりきったと思えるまで続けよう」と再び夢を追った。

 スタイルを変えた。中学生の頃から「守備型」だった。ロースコアの展開に持ち込み、粘り強く勝ちをつかんできたが、「強い相手や短時間で点数を重ねなければいけない時に攻撃が必要になる」と感じた。

 身長1メートル61は海外勢と比べて小柄で、相手の懐に飛び込むように突く「フレッシュ」を磨き、自分の武器とした。試合で主導権を握れるようになった。

 目標も高く設定した。フェンシング女子で、誰も手にしていないメダルを取る。モットーとして「破天荒」を掲げた。その実現のため、この日も力を尽くした。

 準々決勝のポーランド戦では連続得点を奪い、流れを引き寄せた。3位決定戦で自分の出番が終わると、声がかれるほど仲間に声援を送り続けた。

 大歓声を浴び、フェンシングの本場で誇らしげに銅メダルを掲げた。記者会見で、しみじみと語った。「競技人生22年間の思いが詰まったメダル。世界で一番重い」(蛭川裕太)

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