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赤痢で隔離された患者に破傷風の症状…院長の手帳、病床日誌が語る被爆症例の不可解さ

読売新聞 / 2024年8月6日 6時3分

 NHKは6日、新たに入手した原爆投下直後の広島で医療活動にあたった病院長の手帳や患者たちの治療記録を基に被爆の実相に迫るNHKスペシャル「原爆 いのちの塔」(総合夜10時)を放送する。感情を排し、医学的見地から冷徹につづった言葉一つひとつからは、当時知識が皆無だった被爆症例に対して、困惑しながらも手探りで医療活動を続けた医師らの苦悩が浮かびあがってくる。(文化部 大木隆士)

NHK広島局が新たに発掘、今夜の「Nスペ」で放送

 元陸軍軍医で原爆投下当時、広島赤十字病院の院長だった竹内 けんさんの手帳が昨年、遺族によって確認され、広島県医師会に寄贈された。NHK広島放送局はこの手帳に加え、別の病院に保管されていた患者の治療記録である「病床日誌」を基に「原爆被害の最前線だった病院で、何が起きていたか語り伝えよう」(松木秀文制作統括)と取材が始まった。

 同病院は爆心地から1・5キロほどの場所にあったが、コンクリート造りのため倒壊を免れ、被爆した人たちが押し寄せて足の踏み場もないほどだった。これほど多くの被爆者は人類史上初めてだったが、竹内さんは自ら重傷を負いながらも医療活動の指揮を執り続けた。

「外人来」…国際赤十字の職員と判明

 だが、目の前の患者たちの症状は不可解なものばかりだった。やけどは快方に向かっているはずなのに、急に重篤になり、高熱を発し、意識不明に陥った若者がいれば、下痢をして赤痢と診断されて隔離されていたところ、突如、破傷風の症状を起こした人もいた。やけども脱毛も歯茎からの出血もないのに突然死した患者もいた。番組では、それらを手帳や病床日誌の淡々とした記述から明かしていく。

 また、竹内さんは病院機能を復旧すべく手を尽くしたが、連合国軍総司令部(GHQ)が原爆の批判的な報道を封印する中、遅々として進まなかった。原爆被害にかかわる米国側の調査にも病院は協力したが、そこで得られたデータが治療に役立てられることもなかったという。

 竹内さんは、日々の出来事も手帳に記した。簡潔な記述が何を意味するか、松木制作統括らは追加取材を続けた。例えば45年8月末には「外人来」とだけ手帳に記されていたが、調査の結果、それが国際赤十字委員会の駐日代表部の職員による訪問で、竹内さんが医療支援を求めていたことが分かった。

 竹内さんは48年に院長を辞職すると、故郷の九州には戻らず、広島で開業する。原爆医療の研究にあたる医師たちを支えたが、被爆直後の医療活動については亡くなるまでほとんど語らなかった。その心情はうかがい知れないが、番組では「前後の事実を積み上げることで視聴者に感じてもらう」ように努めた。

被爆経験局の“宿命”「若い世代にもしっかり伝えられる番組を」

 年を追うごとに被爆体験を語れる人が少なくなっている現在、広島局でも新たな事実を発掘するのが極めて困難になっている。松木制作統括は「直接大事な話を聞ける機会はどんどん減っているが、過去の積み重ねがあり、それはすごく大きな財産になっている」という。

 世界を見渡せば、ウクライナを侵略しているロシアは戦術核兵器の使用もちらつかせている。広島局自体、NHKの前身の「社団法人日本放送協会」時代に原爆で壊滅的な被害を受けており、「そうした宿命を背負いながら覚悟をもって新しいテーマを探り、核の脅威が高まっていく今の時代にどう届けていくか。日々精進している」。

 来年は被爆80年の節目の年。被爆者が減る一方、戦争を知らない若い世代が増えている中、「原爆が何をもたらすか、広島が80年間訴えてきたものは何だったのか、若い世代にもしっかり伝えられる番組を作りたい」。松木制作統括は固く誓っている。

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