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列車内に突然響いた轟音・ホームに積まれた遺体…米軍機銃撃の悲劇、乗客ら語り継ぐ

読売新聞 / 2024年8月7日 16時59分

 太平洋戦争の終戦直前、東京都八王子市裏高尾町の中央線「 の花トンネル」入り口で、走行中の列車が米軍機の銃撃を受けて50人以上が亡くなった事件から79年を迎えた5日、現場近くの慰霊碑前で「慰霊の集い」が開かれ、銃撃に遭って生き延びた当時の乗客ら約100人が犠牲者の 冥福 めいふくを祈った。「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が悲劇を語り継ごうと40年前から毎年開催しており、同会は「若い世代に伝えるため、慰霊の集いをできる限り続けていきたい」と話す。(高柳繁範)

 1945年8月5日、新宿発長野行きの列車がトンネルに差し掛かった時、米軍のP51戦闘機の機銃掃射を受けた。

 羽村市の榎本久子さん(88)は、その3日前の八王子空襲で家を失い、父とともに山梨県に避難するためその列車に乗車していた。突然、「バリバリバリ」という 轟音 ごうおんが響き、父の「伏せろ!」という言葉で慌てて車内で伏せたのを今も覚えている。

 乗っていた1両目がトンネルに入った直後に銃撃されたので難を逃れたものの、目を覆いたくなる光景が広がっていた。近くの駅に避難すると、ホームには多くの遺体が積まれていた。「あの惨状のことは今も詳しく話したくない。自分が生きているのが不思議なぐらいだった」と回想する。

 この銃撃については戦時下の情報統制で、当時詳しい状況は公表されなかったが、警察が確認しただけで52人の乗客が死亡し、133人が重軽傷を負ったとされている。さらに、慰霊の会のその後の調査では犠牲者は60人を超えるとみられている。

 現会長の斉藤勉さん(66)が八王子市の戦災調査に携わったのを機に、84年に慰霊の会を設立。以来、実態調査を進めて被害の詳細を明らかにするとともに、毎年の慰霊の集いや列車の乗客から体験談を聞く集会を続けてきたが、斉藤さんは「当事者の方々もかなり高齢になり、慰霊の集いなどへの参加も体力的に厳しくなってきた」と明かす。

 それでも5日の集いには、榎本さんと大田区の黒柳美恵子さん(92)の乗客2人が参列し、慰霊碑に花をささげて手を合わせた。あの日、長野県に里帰りするため2歳上の姉と列車に乗り、銃撃で姉を失った黒柳さんは「姉とともに床に伏せたが、姉は二度と起きてこなかった。私も両親も姉の死に苦しみ、我が家にとって忘れられない日となった」と話した。

 当時の現場写真は見つかっていないが、斉藤さんはこれまでに100人以上の遺族や負傷者から話を聞き、その証言の音声データや映像を保管しているという。斉藤さんは「この出来事を後世に伝えるため、証言データの公表も検討したい」と話している。

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