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御巣鷹で亡くなったオリンピアンのポロシャツ、五輪の年に息子のもとに…「日本選手の活躍を父も喜んでいるかな」

読売新聞 / 2024年8月6日 22時54分

昌憲さんのポロシャツを広げる辻俊多美さん(3日、東京都で)=星野佑太撮影

 群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に日航ジャンボ機が墜落し、乗客乗員520人が亡くなった事故から、12日で39年となる。事故では、1964年の東京五輪の自転車競技に出場した辻昌憲さん(当時39歳)も犠牲になった。今年1月、長男 俊多美 としたみさん(51)(東京都狛江市)の元に遺品のポロシャツが届き、俊多美さんは父と過ごした日々に思いをはせている。(前橋支局 星野佑太)

 「懐かしいな。これよく着てたな」

 父が愛用していたポロシャツを広げながら、俊多美さんはつぶやいた。

 昌憲さんは中京大1年の時に東京五輪の自転車個人ロードレースに出場した。途中棄権に終わったが、その後のアジア大会で2個の金メダルを獲得。引退後は島野工業(現シマノ)の自転車チームの監督を務めた。

 仕事で家を空けることも多かったが、テレビゲームや運動靴などを買って家族を喜ばせてくれた。俊多美さんは全国各地の大会に一緒に行き、父が指導する選手も出た84年のロサンゼルス五輪も現地で観戦した。

 事故は翌85年に起きた。中学1年だった俊多美さんは遺体と対面できなかったこともあり、父の死を受け入れられなかった。「ふらっと家に帰ってくると思っていた」

 父が選手として活躍する姿を見たことはなかったが、高校で自転車競技を始めると、出場する大会関係者から父のことを聞かされるなどして、すごさを実感した。自身もインターハイ出場や全国大会入賞を果たすと、選手で五輪に出場し、監督として五輪選手を育て上げた昌憲さんを誇りに思うようになった。

 「五輪の年は、特に父を思い出す」と俊多美さん。そんな年の初めに3枚のポロシャツが届いた。送り主は、父の自転車仲間だった。

 墜落事故の後、母の美恵子さんは、昌憲さんの服や写真を形見として配っていた。しかし、事故から40年近くたって昌憲さんの仲間も高齢化。「せっかくなら家族の元に」と、俊多美さんに連絡があった。

 ポロシャツは昌憲さんの普段着で、幼いながら見覚えがあった。大切に保管されていた様子がうかがえ、俊多美さんは「父は愛されていたんだなと思った」と語った。

 パリ五輪では、父と同じ男子個人ロードレースで日本人選手が完走した。12日は事故現場を訪れ、そのことも報告するつもりだ。「日本選手の活躍を父も喜んでいるかな」

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