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黒沢清監督が「映画の中の三大怖いもの」詰め込んだ中編「Chime」に映る日常の実像

読売新聞 / 2024年8月9日 11時0分

 上映時間45分の中編「Chime」は、世界的マエストロ、黒沢清監督が、自身の考える「映画の中の三大怖いもの」を文字通り詰め込んだ作品だ。その1秒1秒から刻々と浮かび上がってくるのは、現代の、ありふれた日常の「実像」。怖い、本当に怖いのだけれど、のぞきこまずにはいられない。(編集委員 恩田泰子)

 1・幽霊の恐怖。2・自分が人を殺してしまうのでは、法律を犯すのでは、犯人になってしまうのではという恐怖。3・警察に逮捕されること、秩序の側が迫ってくるという恐怖――。黒沢監督自身の脚本による本作の出発点は、これら「映画の中の三大怖いもの」をすべてを実現させることだったという。

 主人公・松岡卓司(吉岡睦雄)は、料理教室の講師としてフレンチを教えている。ある日のレッスン中、若い男の生徒が、不思議なことを言い出す。チャイムのような音で誰かがメッセージを送ってきている、先生には聞こえてますか、と。松岡は、エキセントリックな生徒の妄言と受け流すが、別の日、またその男はまた妙なことを語り出し、その言い分を証明するために驚くべき行動に出る。それを機に、松岡の日常に裂け目が広がる。狂暴な何かが静かに流れ込んでくる。

 え? ということが前触れなしに起きていく。恐ろしい光景が続けざまに現れる。怖い。でも、「Chime」が本当に恐ろしいのは、映し出される日常が、別世界のものだとは決して思えないことだ。

 私たちは普段、いかに多くのことをやり過ごしているか。そのことを、この映画は音で映像で静かに突きつけてくる。唐突に耳に入ってくる 轟音 (ごうおん)。見知らぬ誰かの攻撃的言動。すぐそこにある 剣呑 (けんのん)な道具。努力してもうまくいかない人生……。一歩ひいてみれば、私たちの日常はどう猛で、何かが狂っているようにも思えるのだけれど、それでも大抵の人は耐える。聞こえなかったふり、見なかったふり、気づかなかったふりをして、平静を装って生きる。ふと爆発しそうになる不安や恐怖、怒り、破壊衝動を押さえつけながら、自分を保とうとする――なんて、覚えはないですか。

 松岡は、無表情で 慇懃 (いんぎん)無礼。感情移入する余地などないように思えるが、彼もまた自分を保とうしているのではないかと、ある時点で観客は察知させられる。つまり、自分と彼はある意味、同類……。意識的にせよ、無意識的にせよ、そう感じてしまうから、彼が直面する三つの恐怖が、たまらなく恐ろしいのではないか。日常を逸脱し、橋を駆けていく姿が怖いのではないか。主人公の幻聴とも「誰かのメッセージ」とも、単なる映画的演出ともつかない「音」に 慄然 (りつぜん)とさせられるのではないか。

 ただ、世界がそうであるように、この映画には、簡単にはわからないことや閉じられない謎が、結末を含め、随所に潜めてある。なぜ、松岡はあんなにも用意周到だったのか。松岡の妻(田畑智子)がたてる騒音は何のためなのか。ひょっとしたら何かをかき消すためなのか……。考えれば考えるほど面白い。見た後は、チャイムの音にちょっと身構えるようになるかもしれないけれど。

 本作はDVT(デジタル・ビデオ・トレーディング)プラットフォーム・Roadsteadオリジナル作品第1弾として製作・限定販売され、現在はユーザーによるリセールやレンタルが行われているが、8月2日から劇場上映が始まった。深遠な映像や音、音楽、そして呼吸する背中の動きさえも見逃せない吉岡の演技を、堪能する好機だ。

◇「Chime」=2024年/45分/製作:Roadstead/企画:Sunborn/制作プロダクション:C&Iエンタテインメント/配給:Stranger=8月2日から、Strangerほか全国順次劇場上映

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