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「泣き虫なお」と呼ばれた日下尚、子どもの頃は怖がりで勝てない日々…涙の恩師「弱い子でもやれば金メダリストになれる」

読売新聞 / 2024年8月9日 16時14分

決勝でカザフスタンの選手(左)を破り、金メダルを獲得した日下尚選手(パリで)=守谷遼平撮影

 パリ五輪レスリング男子グレコローマン77キロ級で、高松市出身の日下 なお選手(23)が金メダルに輝いた。持ち前の「前に出る」レスリングを貫いて攻め続け、憧れの大舞台で目標を達成した。香川県出身者の個人種目での金メダルは初。地元の関係者らは快挙に沸いた。(黒川絵理、須藤さくら)

 「いけいけ尚!」。高松市総合体育館では8日未明、パブリックビューイングが開かれ、約90人が声援を送った。

 日下選手は、第1ピリオドで相手選手にリードされたが、第2ピリオドは積極的に攻め、逆転勝ちで頂点に上り詰めた。勝利が決まると、PV会場は歓喜に包まれた。

 日下選手が3歳頃から通った高松レスリングクラブで指導した山下和代さん(57)は、最前列で教え子の雄姿を見守った。子どもの頃は勝てない日々が続いたといい、「夢のようだ。レスリングを続けてくれてよかった。弱い子でも、やれば金メダリストになれる。子どもたちの夢を証明してくれた」と涙をぬぐった。

 母校の県立高松北高のレスリング部で3年の男子生徒(18)は「尚先輩ならやってくれると思っていた。4年後、自分も尚先輩を目指してオリンピックの舞台に立ちたい」と声を弾ませた。

 同市の大西秀人市長も観戦し「市民に夢を与えてくれた。市民の誇りとして、みんなで迎えたい」と話した。

     ◇

 日下選手はレスリングを始めた頃、怖がりでマットに立てず「泣き虫なお」と呼ばれていた。試合でも結果が残せなかった。

 それでも、レスリングを続けた理由の一つが五輪への憧れだった。小6で見たロンドン五輪の吉田 沙保里 さおり 伊調馨 いちょうかおり両選手の金メダルや、高1の時のリオ五輪・太田忍選手の銀メダルに奮い立った。今回の五輪前の取材に「いつかは最高の舞台にと思い続けてきた。そのために生きてるって言っても過言じゃない」と話していた。

 練習を重ね、高松北中高に進学し、徐々に勝てるようになっていく。

 県警の山本 泰地 たいち巡査(23)は同じクラスだった高校時代、毎朝1時間の自主練習を共に積んだ。日下選手はテニス部だった山本さんのためのトレーニングにも一緒に取り組んでくれた。

 日下選手は進路で、「一番強くなれるところでやりたい」と、厳しい練習で知られる日体大を選択。卒業式の後、教室で生徒1人ずつがクラスメートや先生、保護者に行ったあいさつで「オリンピックに出て、金メダルをとる」と宣言したという。

 山本さんは、日下選手から決勝前に「勝ってくるわ」とメッセージが送られてきたといい、「実力も人柄も努力も、金メダルの資質がすべて備わっている。小さな頃からの目標を達成して、すごいの一言。心の底から『おめでとう』と言いたい」と祝福した。

 レスリング強化のため、小学生の日下選手を相撲に誘い、指導した三木町の黒田良治さん(69)は「決勝はリードされても落ち着いていて負ける気がしなかった。目標に向かい、しんどい稽古を黙々とできる才能がもたらした結果。よく頑張った」とたたえた。

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