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難コースで100%の力出した赤崎暁、メダル獲得の期待も抱かせての6位[武井隆次の目]

読売新聞 / 2024年8月10日 19時2分

男子マラソンで6位入賞を果たした赤崎暁(10日)=三浦邦彦撮影

 パリオリンピックは10日、陸上の男子マラソンが行われ、中盤と終盤に2度の急坂があるなど、五輪史上最もタフと言われるコースをエチオピアのタミラット・トラが五輪新記録の2時間6分26秒で制した。日本勢は小山直城(ホンダ)、赤崎暁(九電工)、大迫傑(ナイキ)が出場。赤崎が2時間7分32秒の6位、大迫傑は2時間9分25秒の13位、小山直城は2時間10分33秒の23位で、日本勢は3人とも完走を果たした。

 熱戦を、早稲田大時代に箱根駅伝で活躍し、2002年アジア大会男子マラソン銅メダリストの武井隆次さんが解説する。

自己ベストを1分半縮めた

 赤崎選手は自己ベストを1分半縮めた。25キロ地点では先頭に立つなど、余裕も感じさせる走りで100%の力を出したと思う。6位入賞は、2021年東京オリンピックの大迫選手と同じ成績だが、前回は何とか粘っての6位、今回はメダル獲得の期待も抱かせての6位となった。

 大きな起伏のある難しいコースに対して、坂道対策を入念にしてきたという。「坂の練習」と一口に言うが、上りと下りで使う筋肉も違い、脚の筋力に負担がかからないような前傾姿勢の角度や、どのくらいの歩幅で、接地はどうするか、などを綿密に考える。そう短期間で成果が出るものではないとは思うが、上りに強いという本人の天性の資質もあるのかもしれない。

 28キロ過ぎ、コース最大の難所だった2つ目の急坂を4番手で上り切った。その直後の長い下り坂は、ゴールまでまだ10キロ余り。勾配に任せて下りると脚をやられる。坂を下り切って平地になる30~35キロの5キロのラップは14分2秒で、ハイペースにはなったが落ち着いた走りを見せた。

 エッフェル塔を正面に見てゴールを目指す残り5キロあたり、先頭のトラ選手の後に外国勢の3人集団が続き、赤崎選手は5番手だった。ここで前の3人の誰かが先頭を追って、集団がばらけてくれれば、遅れた選手を捕まえて赤崎選手にメダル獲得のチャンスが十分にあった。残り2キロでその展開になったがタイム差があり、もうすこし早かったらと、少し残念な気持ちもある。

持ち味を発揮した大迫

 大迫選手は後半もあきらめなかった。東京五輪後に引退を撤回して臨んだパリ五輪で、モチベーションは3年前よりも低かったかもしれないが、最後は順位を上げて彼らしい持ち味を出してくれた。

 優勝したトラ選手は2時間6分26秒のオリンピック新記録だ。難しいコースで、優勝タイムで2時間8分はかかると思っていたが、スタート時の気温19度など気象条件が良かったことと、競り合いが早めに始まったことで五輪記録が生まれた。

表彰台の3人はすべて30代

 レースのエントリーリストを見ていて、平均年齢が高いことに気づいた。マラソンでは25~28歳ぐらいが最高の体力と言われるが、3連覇を狙ったエリウド・キプチョゲ選手(ケニア)は間もなく40歳、世界歴代3位の記録を持つケネニサ・ベケレ選手(エチオピア)は42歳で、この日の表彰台の3人はすべて30代。マラソンの高速化が進むが、若くなければ勝てないということでもなく、勝つためには経験や熟練も必要だということを感じた。そういえば、私もマラソン初優勝だったびわ湖毎日マラソンの時には30歳で、「ベテラン」と言われたことを思い出した。

たけい・りゅうじ 1971年生まれ。東京・国学院久我山高で高校初の5000メートル13分台をマーク。早大時代は箱根駅伝で4年連続区間賞(1区、1区、4区、7区)、うち3度が区間新記録で、同期の花田勝彦、櫛部静二と並び「三羽がらす」と呼ばれた。卒業後はエスビー食品で2002年びわ湖毎日マラソンを2時間8分35秒で優勝。02年アジア大会男子マラソン銅メダル。引退後はエスビー食品のコーチ、監督を歴任。現在は「したまちアスリートクラブ」の監督として小、中学生を中心とした後進ランナーの指導にあたっている。

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