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日航機墜落の夏、遺体引き渡しを続け「早く忘れたい」とも思った新入社員…その記憶を語り継ぐ

読売新聞 / 2024年8月12日 11時30分

機体の残存部品を前に、事故当時を振り返る三浦さん(7日、東京都大田区で)

 乗客乗員520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から、12日で39年がたつ。当時、日本航空の新入社員だった三浦武彦さん(63)は乗客の家族対応にあたり、いくつもの遺体を引き渡した。事故を経験した社員が減っていく中、空の安全トラブルをなくすため、記憶を語り継ぐ必要性を訴えている。(前橋支局 星野佑太)

消えた機影

 三浦さんは1985年4月に入社し、大阪・伊丹空港で旅客対応を担当していた。8月12日。先輩らと出かけた食事の途中で「うちの飛行機の機影が消えたらしい」という一報に触れた。

 事故機の目的地は伊丹だった。三浦さんは空港に急行し、近くのホテルで乗客の家族への対応を担った。出発地の羽田空港から名簿が50~60人ずつ送られてくる。それらをホールに貼り出していった。無事なのかを問う家族には、「すみません。わかりません」としか答えられなかった。

 翌日、群馬県上野村の墜落現場「御巣鷹の尾根」の映像に 戦慄 せんりつを覚えた。「驚きと恐怖、やるせなさ。事故を直視できなかった」と振り返る。1~2か月、群馬から運ばれる遺体を遺族に引き渡す仕事が続いた。

現場を訪ね

 自身が御巣鷹を訪れたのは約5年後だ。足が向かなかったのは「心に引っかかっている一方、早く忘れたい、口にもしたくないとの思いがあった」から。だが、墜落した尾根に立ち、直前に機体が接触してへこんだ山肌を目の当たりにすると、事故に向き合おうと思うようになった。

ミス相次ぐ

 墜落から20年たった2005年、社内で運航トラブルや整備ミスが相次いだ。外部の有識者は、墜落事故の現地に行って現物に触り、現場の人と議論して実態を知る「3現」が事故防止に重要だと指摘した。三浦さんは「一人で向き合うだけでは不十分だ」と考え、後輩たちに事故の話をするようになる。06年には事故機の残存部品や乗客の遺品などを展示する「安全啓発センター」(東京都大田区)が開設された。

 現在、嘱託社員となった三浦さんは、空の安全に役立てようと社内の記録をホームページで発信している。事故当時からの現役社員は77人。全体の約0・5%にまで減り、自身の体験を話せる社員はいずれゼロになる。三浦さんは「ミスをなくし、安全の質を上げるために何ができるか。日航社員はもちろん、業界全体で努力を絶やさずに考え続けていかなければならない」と話している。

風化防止研修 今年で10年目 若手ら現地へ

 事故を風化させないため、日本航空が御巣鷹の尾根で行っている社員研修は今年、10年目を迎えた。入社3年以内の若手と10年目、管理職を対象に1泊2日の日程で実施されている。

 今月8日、御巣鷹にはグループ会社を含め、約20人の社員の姿があった。山道には、犠牲者の名前や年齢が刻まれた墓標が並ぶ。参加者はこれらを見つめながら登り、慰霊碑「昇魂之碑」の前で手を合わせた。

 機体の整備を担当している佐藤 愉威 ゆいさん(33)は、「自分の仕事は安全に直結している。一つのミスもしてはいけないと改めて思った」と話していた。

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