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「火の鳥」に込めた平和への願い、30年ぶりにタイムカプセル開封へ…宝塚の手塚治虫記念館で

読売新聞 / 2024年8月13日 13時45分

 兵庫県宝塚市の市立手塚治虫記念館前に立つ「火の鳥」のモニュメント。夏休みで多くの観光客が訪れている街のシンボルの裏側に、「平和を託す」と刻まれた古びた銘板と、小さな鍵穴があるのに気づく人は少ない。内部で保管されてきたのは、平和を願うメッセージが詰まったタイムカプセル。今月20日、その箱が30年ぶりに開かれる。(高部真一)

 炎の台座の上で羽ばたく黄金の火の鳥像(高さ4・4メートル)は1994年、記念館の開館に合わせて設置された。漫画家・手塚治虫(1928~89年)が生命の尊重をテーマに描いた「火の鳥」。タイムカプセルは、非核平和都市・宝塚を象徴する像の完成を記念して企画され、市民らの平和への願いを込めた手紙約450通が収められた。台座の扉を開く鍵は「2024年 宝塚市長様」と書かれた木箱に入れられ、市役所で大切に保管されてきた。

 「火の鳥」をライフワークとした手塚は、幼少期から20代前半までを宝塚市で過ごした。昆虫採集に熱中し、宝塚歌劇に魅せられた多感な時期は、戦時中と重なる。16歳で終戦を迎えるまで、学徒動員のため工場で働き、空襲の 焼夷 しょうい弾から逃げ回った。多くの遺体を目にし、高射砲で撃ち落とされた爆撃機の米軍兵士が集団に殴られる様子も目撃。自著で、〈世の中で、なにがいちばんみじめかといって、戦争ほどみじめなものはない〉と記している。

 手塚は〈 孫子 まごこの代までこの体験を伝えよう〉と、自らの経験を基にした作品も多く残している。「火の鳥」は直接、当時の戦争を描いたものではないが、日中戦争を取り上げる構想もあったという。

 タイムカプセルには、手塚と同世代の一人がメッセージを寄せている。同市在住で、広島の被爆者でもある岡邊好子さん(95)だ。

 原爆で自身を含め家族6人が被爆し、大やけどを負った母親を壊れた家の戸板を担架代わりにして避難所まで運んだ。全身にやけどを負いながら、避難所でほとんど治療を受けられずに死亡した父を抱きしめた。そんな体験を40年近く、学校などで語り続けている。

 20日のセレモニーには、岡邊さんも参加する。「戦争反対や核兵器廃絶への思いを書いたはず」という30年前の手紙を読み返し、市民らと平和への決意を新たにする機会になる。

 戦後79年を迎えても、世界から戦火は消えない。市は、新たなタイムカプセルを火の鳥像に入れ、2054年度まで保管する予定だ。

 岡邊さんは、ウクライナやパレスチナで戦闘に苦しむ子どもたちの姿が、広島の焼け野原で、生きることに必死だった自分と重なるという。「みんなうちに連れてきてあげたいほど。でも、それは無理だから、私は戦争の愚かさを語り続ける」。30年後の世代に託すメッセージを今、考えている。戦争がない世界へ、思いをつないでいくために。

 ◆火の鳥=手塚治虫の代表作の一つで、古代から未来までを舞台に人間の生と死を描き、戦争や宗教対立、環境保護、科学文明を考えさせる壮大な物語。不死鳥「火の鳥」は人類の営みを見守る存在として描かれている。手塚の死で作品は未完となったが、1954年の連載開始から70周年の今年、作品を基にした絵本や曲が相次いで発表された。神戸市のメーカーが開発した国産初の手術支援ロボット「hinotori(ヒノトリ)」の名も作品に由来する。

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