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女学生が貼り合わせた美濃和紙も使われた「風船爆弾」、岐阜の郷土史家が絵本に…「子供も大人も読めるように」

読売新聞 / 2024年8月13日 16時14分

 戦時中に米国に向けて放たれた「風船爆弾」には、岐阜の女学生が貼り合わせた美濃和紙も使われていた。岐阜県関市の郷土史家・堀野慎吉さん(75)は地元の歴史を掘り起こし、絵本「風船爆弾~和紙気球は海を渡った~」を今夏出版した。戦争をテーマとした絵本は2006年から制作して今回で6冊目。「戦争は最大の犯罪。歴史の事実を物語を通じて伝えることで、平和を考える材料になれば」との願いを込める。(宮崎亨)

 今回の絵本の主人公は美濃和紙の生産地・美濃市 蕨生 わらび地区の紙すきの家で生まれ育った 芳恵 よしえばあちゃん。孫から気球の歌を聞かされたのをきっかけに、戦争末期の武儀高等女学校(現・県立関高校)時代に芳恵が体験した風船爆弾作りを語り始める。

 芳恵らは女学校の校長から、和紙を貼り合わせた気球を作り、水素ガスで膨らませて爆弾をつり下げた上で米国へ飛ばす軍事機密の説明を受けた。毎日朝から晩まで和紙を貼り合わせる作業が続く。「兄ちゃんも戦場で、父ちゃんも母ちゃんもお国のために頑張って和紙を いているんやから、私も負けずにがんばる……」。芳恵の思いがつづられる。

 こうして全国から集められた和紙は軍部によって関東地方で風船爆弾に加工された。戦況が悪化した1944年(昭和19年)から約9300個が飛ばされ、米大陸に達したのは280個ほど(米軍の記録による)と紹介されている。

 米オレゴン州の森林公園に立つ碑の事実も盛り込んだ。45年5月、神父の夫人と子供5人の計6人が風船爆弾の犠牲になり、碑には「敵の攻撃で死者が出た唯一の場所」と刻まれている。

 孫に頼まれた芳恵が小学校で話をした場面も描かれる。美濃和紙を使った気球が戦争で兵器として使われ、自らも製作に関わったと告白。風船爆弾の写真を児童らに見せるシーンで終わる。

 堀野さんは知人女性から10年ほど前、武儀高等女学校で同様の風船爆弾作りをしたとの体験談を聞き、関市にある「武芸川ふるさと館」の保管庫で風船爆弾用の和紙を探したり、多くの文献や資料を調べたりして史実に基づく物語を構想した。「戦争体験者が少なくなり、我々の世代が戦争を語り継がないと忘れ去られてしまう。あまり知られていない地元の戦争の歴史を取り上げ、子供も大人も読めるような絵本にしたかった」と話す。

 自らは戦争を体験していないが「愛する者を引き裂き、憎悪をあおり、人と人が殺し合う最大の犯罪」との思いを抱いてきた。それが長年の活動の原動力だ。

 絵本は700冊を制作し、1冊1300円(税込み)。文は堀野さん、絵は藤井美海さんが担当した。問い合わせは堀野さんが運営する「あとべの書房」(080・1608・2302)。発刊記念として今月31日には「平和の歌と朗読の集い」が美濃市文化会館で開かれる。

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