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米軍に封鎖された大学、職員の抗議も届かず…ヘリ墜落事故から20年たっても変わらない地位協定の厚い壁

読売新聞 / 2024年8月14日 8時28分

米軍ヘリの回転するローターでえぐられた跡が残る壁の前で、当時を振り返る富川さん(12日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大で)=浦上太介撮影

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する沖縄国際大に米軍ヘリコプターが墜落した事故から13日で20年となった。日本側の現場検証は日米地位協定を根拠に認められず、その運用は今も変わらない。当時を知る関係者は「いつになったら沖縄の安全は守られるのか」と危機感を抱いている。

 「日米地位協定の厚い壁を思い知らされた」。元学長の富川盛武さん(76)は12日、ヘリのローターでえぐられた跡が残る同大旧本館のモニュメント前で振り返った。

 事故当時、産業情報学部長だった富川さんが駆けつけると、機体が大破して黒煙を上げ、報道陣の撮影を阻止する米兵に住民らから怒号が飛んでいた。その後、米軍は本館を封鎖。職員は「大学の私有地だ」と抗議したが、米兵に「ノー」と押し返された。「敷地内に立ち入れない理不尽な状況。なすすべがなかった」と唇をかむ。

 日米地位協定の「合意議事録」には、「日本の当局は米軍の財産を捜索、差し押さえ、または検証を行う権利を行使しない」と記されている。それでも、沖縄県警は航空危険行為処罰法違反容疑で検証令状を取り、事故翌日に在沖縄米軍側と面会。日米合同の現場検証を要請した。

 「我々には捜査権がある」。当時の県警捜査1課長、石垣栄一さん(76)はテーブルをたたいて主張したが、後日、「同意できない」との回答があった。

 県警が現場検証できたのは発生6日後。既に米軍が機体を回収していた。事故原因とされた整備不良に関わった米兵らの氏名特定には至らず、不起訴となった。石垣さんは今も、「軍事機密に関わるとはいえ、この現状はおかしい。被害を受けた県民は納得できないはずだ」と悔しがる。

 日米両政府は2005年、基地外での米軍機事故に関する指針を策定し、事故現場の規制を日米合同で行うことを確認し、合同訓練も毎年続いている。だが、捜索や検証に米側の同意を要する状況は変わらない。

 同大学長を経て、17年に副知事に就任した富川さんは「県外の人に『自分ごと』として考えてほしい」と、米軍基地がある諸外国の地位協定調査事業に力を入れた。退任後の今年3月、「ドイツは自国で現場を規制して主体的に調査に関与する」などの内容をまとめた報告書が公表された。

 富川さんは「基地所在地の市民の安全・安心が守られなければ、日米の安全保障体制は保たれない。日米両政府は運用改善に向けて積極的に議論してほしい」と願っている。

◆沖縄国際大米軍ヘリ墜落事故=2004年8月13日午後2時18分頃、普天間飛行場を離陸した大型輸送ヘリが大学本館に接触しながら墜落し、炎上。搭乗していた米兵3人が重軽傷を負った。学生や住民にけがはなかったが、機体の破片などが住宅地に飛び散り、窓ガラスが割れるなどの被害が出た。

記憶 語り継ぐ 事故現場で集会

 沖縄国際大は13日、ヘリ墜落事故で焼け焦げたアカギの木の前で集会を開き、事故の記憶を語り継ぐ決意を新たにした。

 集会で 安里 あさと肇学長(56)は、普天間飛行場の返還合意から28年が経過したことや、米軍による事件・事故が後を絶たないことに触れ、「変わらぬ現状に強い憤りを感じる」と述べた。その上で「大学や地域社会の平穏・安寧を脅かす普天間基地の固定化を認めることはできない」と強調した。

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