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真珠湾攻撃と同じ日、爆発音にフィリピンの住民は走り出した「日本軍だ」…今も残る地下壕は占領後の労働従事の跡

読売新聞 / 2024年8月14日 18時59分

日本軍の占領期について語るガビロさん(左)と夫のホセさん(6月30日、イバナで)=安田信介撮影

 真珠湾攻撃で太平洋戦争の戦端が開かれた1941年12月8日、旧日本軍が台湾に近いフィリピン北部バタン島に上陸したことはあまり知られていない。15日の終戦の日を前に住民が本紙の取材に応じ、当時を振り返った。(フィリピン北部バタン島 安田信介、写真も)

 日本軍が台湾から、米国の植民地だったフィリピンに侵攻した日。バタン島イバナに住むラモナ・レデンシオン・エリソンド・カスターニョさん(97)は14歳だった。雨が降っていたことを覚えている。

 「早朝、船団が水平線上に見えた。米軍だと思ってみんな外に出て手を振った」

 突然、爆発音がとどろき、人々が海岸から陸へ走り出した。カスターニョさんも必死に続いた。跳ね上がった泥が体中を汚した。誰かが「米軍じゃない、敵だ。日本軍だ」と叫んだ。山に向かって夜も歩き続けたが、恐怖で疲れは感じなかった。

 日本軍が島を占領後、住民は地下 ごうの掘削などの労働に従事させられたという。壕は「ジャパニーズ・トンネル」として残り、現地住民を「日本軍が労働者として使った」と入り口に刻まれている。

 ゲリラと日本軍の戦闘も起き、死者が出たとされる。地元の教員たちが50年代にまとめた資料には、45年の終戦までに公務員や市民ら79人が日本軍に殺害された記録が残る。

 ゲリラの一員だったカスターニョさんの父も犠牲者だ。「抵抗せず、流れに身を任せるしかなかった」と声を震わせた。45年9月頃、日本軍が撤退した際には「もうひどいことは起きない」と神に感謝したという。

 カスターニョさんの義妹、エレナ・カスターニョ・ガビロさん(89)は、日本人教師から教わった「イチ、ニ、サン」などの数え方や「はとぽっぽ」の歌をまだ覚えている。バタン島の隣のサブタン島でも日本軍とゲリラの戦いがあり、犠牲者が出たという。

 エルピディオ・キリノ大統領は53年、比国民の厳しい対日感情の中で、服役していた日本人戦犯105人を恩赦で釈放した。日本軍に妻と子供3人を殺害されたキリノ氏は声明で「我々の友となり、我が国に末永く恩恵をもたらすであろう日本人に対する憎悪の念を残さないため」と訴えた。

 カスターニョさんも、戦争を繰り返さないためには「兄弟や隣人を思いやることが大事。(他国でも)自分の兄弟だと思えば戦えるわけがない」と訴えた。

 戦略的に重要な南シナ海に面したフィリピンは地政学的リスクを抱えてきただけに、米CNNのニュースを見て世界情勢を知るのが日課となっている。最近ではバタン島から近い台湾に中国が圧力をかけ続けているのが気がかりだという。

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