1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「宝くじ」の始まりは「万里の長城」の整備費用か…「億超え」当選金は平成から

読売新聞 / 2024年8月15日 5時0分

 もしも億万長者になったなら――。夏の風物詩「サマージャンボ宝くじ」の抽選が、8月23日に行われる。今年も多くの人が一獲千金の夢を抱き買い求めた。その原点はどこにあり、いかにして根付いてきたのか。秘密を探った。

増税回避の目的で導入

 東京・銀座の西銀座チャンスセンターは、平成以降、36年連続でジャンボ宝くじの1等当選者が生まれている。「宝くじの聖地」と呼ばれるゆえんだ。今年のサマージャンボ宝くじの発売初日の7月8日も、販売開始前から100人以上が列を作った。

 くじを購入した千葉市の男性(65)は「高額当選したら、物価高で不安な世の中なので貯金します」とその願いは控えめ。“もしも”の想像にも世相が反映されている。

 ジャンボ宝くじやロト6などに代表される宝くじの販売主体は、都道府県と政令市で、収益は公共目的で使用されている。その起源は諸説あるが、宝くじに詳しい大阪商業大の谷岡一郎学長(67)によると、中国では紀元前2世紀頃、他民族からの侵攻を防ぐ「万里の長城」の整備費用に、宝くじの収益金が充てられた。ローマ帝国でもインフラ整備の費用獲得のため、宝くじが実施されたという。谷岡学長は「増税で資金を集めれば市民に反発される。宝くじなら市民に歓迎されながら財源を獲得することができたのだろう」と話す。

 一方、国内の宝くじの原点は江戸時代初期に摂津国(現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)の箕面山瀧安寺が売り出した「 箕面富 みのおのとみ」だ。当選者に贈られたのは、健康や商売繁盛などを願う特別なお守り。その後、金銭と結びついた「富くじ」が流行するが、風紀が乱れる恐れがあるとして天保の改革で1842年に禁止された。

 国内で再び宝くじが登場するのは1945年7月。戦費調達のため、「勝札」の名で発売されたが抽選を待たずに敗戦を迎え「負札」と呼ばれた。ただ、戦後復興の財源として宝くじは必要とされ、戦禍によって傷ついた国民の「生きる希望」として定着していった。

 当選金が「億」の大台に乗ったのは、宝くじ発売から45年目の平成元年(1989年)になってから。現在では年末ジャンボ宝くじの当選金は前後賞合わせて10億円だ。一般財団法人「日本宝くじ協会」が2022年、全国約4500人から回答を得た調査によると、過去に一度でも宝くじを購入したことのある人は81.4%にも上る。

 国民に広く受け入れられていると言えそうだが、その売り上げは、05年度の1兆1047億円をピークに低迷。娯楽の多様化などを背景に17年度には7866億円まで減少した。対策として、18年度からはインターネット販売が本格スタート。新たなファンの獲得に成功し、今では宝くじ売り上げ全体の約3割をネット購入が占めている。

 宝くじの売り上げは、「当せん金付証票法」に基づき、当選金などをのぞいた約4割が自治体に分配されている。使い道は「国際交流と国際化推進」「少子高齢化対策」「産業振興」などに限られるが、新型コロナウイルスの感染拡大時には、コロナ対策で予算を割かれた自治体が、住民サービスを充実させるための貴重な財源となった。

 災害大国・日本では、大災害からの復興費用に充てられることも多く、2011年3月の東日本大震災や、今年1月の能登半島地震の復旧費用としても役立てられている。販売委託先のみずほ銀行宝くじ部は「億万長者の夢とともに高い公益性によって宝くじが親しまれてきたのだろう。これからも国民に愛される宝くじを目指す」としている。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください