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「最高の舞台に来られたのは神様のご褒美」…脳梗塞で選手は断念、マネジャーとして甲子園で輝く

読売新聞 / 2024年8月15日 15時0分

記録員としてベンチから試合を見守った石橋のマネジャー吉田光来さん(13日、甲子園球場で)=後藤嘉信撮影

病気やけが乗り越え、仲間のサポート役で活躍

 高校野球の夏の甲子園出場校の中には、病気やけがなどを理由に仲間のサポート役に回った球児たちがいる。対戦相手のデータを分析してチームの躍進を支え、なくてはならない存在として大舞台に臨んだ。(木村彩乃、徳永翔太、有沢ゆうり)

 13日の2回戦、石橋(栃木)ベンチにマネジャーの吉田 光来 みらいさん(3年)が記録員で入った。スコアを付けつつ、試合までに動画で分析した相手投手の狙い球を説明し、仲間はそれに応えるかのように5得点。甲子園初勝利に笑顔を見せた。

 吉田さんは投手として練習に励んでいた昨年7月末、深夜に体の左側がしびれ始めた。脳血管の難病「もやもや病」と診断され2か月入院、その後の詳しい検査で脳 梗塞 こうそくと判明した。

 日常生活を送れるほどになったものの、左腕にしびれが残り選手復帰は諦めた。「マネジャーとして力になりたい」と福田博之監督に直訴、用具の準備やタイムキーパーなどを担う。ライバル校の試合に足を運び、配球をまとめて選手にLINEで送る。

 栃木大会ではその情報をベンチで打者に伝えた。甲子園出場につなげ、田口皐月主将(3年)は「光来のおかげで相手の対策ができ、勝利につながった」と話す。

 吉田さんは甲子園に立ったこの日、「しんどいときが多かったけど、最高の舞台に来られたのは神様のご褒美」と語った。

 初戦敗退した鳴門渦潮(徳島)の学生コーチ高松 はるさん(3年)は元々、島根県内の高校の野球部員だった。1年の秋、練習中に打球が左目に当たって 眼窩底 がんかてい骨折し、視力は0・01以下になった。

 治療を受けた医師の紹介で、徳島大病院で昨春、手術した。両親が仕事の都合で徳島県鳴門市に引っ越したこともあり、鳴門渦潮に編入して野球部に入った。

 仙台育英(宮城)の須江航監督が、高校時代はデータ分析などをする学生コーチだったと知り、「これなら大好きな野球に関われる」と志願。練習時はスピードガンで打球速度の測定などを行い、他校の公式戦を視察しては投打のデータを文書にして蓄積してきた。

 藤原大輔捕手(3年)は「相手の情報を基に、配球を考える材料になった」と感謝。高松さんは「自分の分析がチームの役に立ってうれしかった」と振り返る。

 花咲徳栄(埼玉)の岩井隆監督の長男、 ゆたかさん(3年)は昨秋からベンチ入りはしているものの、レギュラーになれず、「幼い頃から父に教わった野球の知識を生かしたい」と、対戦相手を分析するデータ班を兼務してきた。相手の特徴をミーティングでナインに伝え、試合中は三塁コーチとして指示を出す。

 9日の1回戦、新潟産大付(新潟)戦では「外野手の肩は強くない」と分析。定位置より少し深めの中飛で二塁から三塁へタッチアップで走らせ、続く中犠飛での先制につなげた。敗れはしたが「選手がデータを理解してくれたからこそのプレーで、自分の役割は果たせた」。選手ではなくとも、充実感を味わえることを甲子園は教えてくれる。

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