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片手で捕球・送球の元甲子園球児、やり投げでパラリンピック…「継続は力」刺繍のグラブ携えパリへ

読売新聞 / 2024年8月16日 14時45分

パリ・パラリンピックでの活躍を誓う高橋選手(2023年4月撮影)=トヨタイムズスポーツ提供

 29日(日本時間)開幕のパリ・パラリンピックに、陸上やり投げ(F46)で初出場する高橋峻也選手(26)(トヨタ自動車)は右腕に障害がある元高校球児だ。捕球と送球を片手でこなす「グラブスイッチ」で甲子園の土を踏み、テレビ中継を見た陸上関係者の誘いでパラ競技に転じた。地道な努力の大切さを学んだ野球への感謝から、グラブを持参してパリに乗り込む。(鳥取支局 山内浩平)

 高橋選手は鳥取県米子市出身。3歳の頃に患った脊髄炎で右腕が不自由となった。それでも小学2年の時に、元球児の父の勧めで野球に挑戦。左手のグラブで捕球後、グラブを外して右腕で抱えながら左手で球を握り直して投げる練習を繰り返し、グラブスイッチを習得した。小学校では投手や内野手として、中学校では外野手としてプレー。左手主導でバットを振り、打順は1、2番を務めた。

 高校は、地元の強豪・県立境高に進学した。1日1000スイングを自らに課し、2年の時に買ったグラブには「継続は力なり」の文字を 刺繍 ししゅうで入れた。3年となった2016年夏、チームは甲子園出場を果たし、背番号10の外野手として登録された。10番は同高で「最も努力した選手」に与えられる称号だった。

 試合で出場機会はなかったが、テレビで紹介され、日本福祉大(愛知)陸上競技部監督(現・部長)の三井利仁さん(60)の目に留まった。パラ選手も指導していた三井さんは当時、20年東京パラリンピックを目指せる選手を育てたいと考えていた。「甲子園に出るほどなら、アスリートとしての土台ができているはずだ」と、大会後に勧誘した。

 やり投げでは投げる腕と反対の腕も重要で、自由に使えないと助走のスピードが出ず、投てきの腕振りも鈍くなって距離が出ない。日本福祉大に進学した高橋選手は「自分は身体能力が優れていない」と、練習量で弱点を補った。誰よりも早くグラウンドに現れ、帰るのは最後。黙々とやりを投げた。三井さんは「同学年の中で一番練習し、一番成長した」と語る。

 3年になってから、専門のコーチの教えを受けた。野球で培った腕振りの速さを生かせるようにウェートトレーニングで足腰を鍛え、投げる瞬間に最大の力が出るフォームに改造。記録が伸びた。1年遅れで開催された東京パラには間に合わなかったが、22年に61メートル24の日本記録を樹立。その後も世界大会で好記録を重ね、代表の座を勝ち取った。

 本番では9月4日未明(日本時間)に登場する。競技場には、これまでの世界大会でも力をもらった高校時代のグラブを持ち込む。「甲子園を経験したことで、世界でも実力を出せている。活躍して障害を持つ人を勇気づけたい」と誓う。

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