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ウクライナの激戦地で左脚失った元兵士、パリ・パラリンピック出場へ「戦争の現実見てほしい」

読売新聞 / 2024年8月20日 21時8分

 【キーウ=倉茂由美子】今月28日開幕のパリ・パラリンピックにロシアの侵略が続くウクライナの代表として、戦闘で負傷した元兵士が参加する。東部ドネツク州バフムトをめぐる激戦で左脚を失い、シッティングバレーボールに出場するエフゲニー・コリネツ選手(27)は「自分の姿を通じ、ウクライナで起きている戦争の現実を世界の人々に見てほしい」と訴える。

 昨年2月、地元のジトーミル近郊の防衛組織から激戦地への転属を希望、バフムト郊外の最前線に衛生兵として投入された。3月23日、負傷した仲間を救出に向かったところをロシア側の無人偵察機に見つかった。

 キーン――。高音が一瞬響くと、近くに迫撃砲が着弾し、左太ももに破片を浴びた。 塹壕 ざんごうに逃げ込み自ら止血処置を施したが、助けが来ない。「ここで人生を終えるのかも……」。意識を失い、約3時間後に救出された。東部ドニプロの病院で左脚に手を伸ばすと、切断されて何もなくなっていた。

 【キーウ=倉茂由美子】パリ・パラリンピックのシッティングバレーボールにウクライナ代表として出場するエフゲニー・コリネツ選手(27)は、ロシアの侵略で負傷して出場する唯一の選手だ。侵略が2年半に近づき負傷兵が増え続ける中、「手足を失っても人生は終わりではないと、失意の仲間たちに希望を示したい」と誓う。

     ■「前線に戻る」

 「もう走れないかもしれない」。左脚を切断したショックは大きかった。元々は理学療法士で、事故でけがをした子どものリハビリなどに携わった。脚を付け根から失うと、義足の装着や歩行が格段に難しくなると知っていた。

 切断したはずの脚に痛みを感じる「幻肢痛」に苦しみ、手術を約20回繰り返した。それでも「必ず前線に戻る」とスマートフォンで戦況をチェックした。「自分を奮い立たせる目標が必要だった」。だが、コリネツ選手が郊外で戦ったバフムトは昨年5月、ロシアが「全域制圧」を発表した。

 義足製作とリハビリのため昨秋に渡米した。股関節が使えず腰で義足を投げ出すように歩く必要があり、3メートル進めば汗だくになった。「赤ん坊のように歩き方を一から身に付けた」

   ■「チームに積極性」

 「シッティングバレーの代表チームが選手を探している。やってみないか」。渡米を検討していた頃、大学当時に知り合ったバレーボールのコーチから誘われた。コリネツ選手は大学時代にバレーボールで活躍したが、競技中のけがで遠ざかっていた。リハビリもこれからで迷ったが、「やってみよう」と飛び込んだ。

 代表チームに合流したのは今年2月。尻を床から浮かしてはならないなど「バレーボールとは全く別もの」だった。移動の際に左側に転倒してしまうことも。

 東部ドニプロの練習施設近くにはロケット弾などが何度も落ちた。それでも「国の勝利」のために熱中できる時間は癒やしだった。

 チーム内でパラ競技の経験が最も浅いが、司令塔のセッターを務めている。コーチのパブロ・ミフリクさんは「勤勉でチームに積極性をもたらした」と評価する。

     ■右脚失った父

 前向きでいられたのは、鉄道事故で右脚をなくした父セルヒーさん(54)の存在も大きい。セルヒーさんは義足で車の運転からサッカーまでこなし、日常生活を楽しめることを示してくれた。左右反対の脚を失った2人は、一足の靴を共有するようになった。

 バフムト郊外の 塹壕 ざんごうで助けを待ったあの日。死を覚悟して「どこにも外国に行けなかったな……」と人生を振り返っていた。今は代表選手として世界を飛び回る。「脚を失ってからの人生も悪くない」と感じている。

 この競技でウクライナのパラリンピック出場は2大会ぶり。目標は金メダルだ。戦闘で手足などを失い落ち込む兵士は少なくない。「国旗を掲げて国歌を響かせる。ウクライナはどんな困難な状況でも勝利できることを自分のプレーで証明したい」と意気込む。チームの初戦は今月30日に予定されるイラン戦だ。

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