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同級生から避けられ、2度いじめを経験した森保一監督「自分を認めてくれる人は必ずいる」…STOP自殺 #しんどい君へ

読売新聞 / 2024年8月24日 11時10分

サッカー日本代表監督の森保一さん。小中学校の時、いじめを受け、友人関係に悩んだことがある

サッカー日本代表監督 森保一さん(56)

 サッカー日本代表監督の森保一さんは、小中学校時代に2度の「いじめ」に遭いました。中学時代のサッカー部では、「練習に行きたくない」と家族に漏らしたこともあると言います。ですが、気持ちを切り替える方法を見つけ、サッカーを続けました。そんな経験から「自分の周りの全員が敵になったわけじゃない。コミュニケーションをとる相手を替えてみて」と、友人関係に悩む君へアドバイスを送ります。

花壇にランドセル 学校が嫌に

 意外に思われるかもしれませんが、小中学生の頃にいじめられ、学校や部活がつらくなったことがあります。

 最初は、小学1年生の3学期に佐賀県唐津市から長崎市の小学校に転校した時です。新しい学校に通い始めてすぐ、同じクラスの男子にランドセルを教室の窓から外に投げ捨てられました。花壇に落ちていたランドセルを拾いに行くと、教室から見ていた同級生に「帰れ」と言われました。

 嫌がらせをされる理由は思いあたらず、転校生が珍しかったからかもしれません。次の日の朝、登校を渋っていると、母に「学校に行け」と言われました。ただ、玄関を出ても、どうにも足が動かない。学校へ少しずつ近づきながら、1時間目のチャイムが鳴るのを聞いて、「もう間に合わないな」と引き返す日々が何日か続きました。事情を知った母が学校に連絡し、先生が嫌がらせをした子を叱ってくれ、嫌がらせはなくなりました。

 つらい時、一人で抱え込まず、頼りになる大人に話すことは大切だと思います。

同級生から避けられるが、父に励まされ

 サッカーに興味を持ち始めたのは小4の頃です。友だちとボールを蹴って遊ぶことが楽しくなり、小6から地元のクラブチームに入って、ゴールキーパーとして小学生の全国大会に出場しました。

 ただ、中学校ではサッカーをするつもりはありませんでした。進学する中学校にサッカー部がなかったからです。「ハンドボール部にでも入ろうかな」と、ぼんやり考えていました。実際にハンドボール部の練習に参加しましたが、初日の夜、父から「もうサッカーはやめるのか」と聞かれました。「やめるも何もサッカー部がないんだ」と答えたら、父が隣町の中学校にかけあってくれ、「練習だけ」の約束でサッカー部に参加できることになりました。

 学校が終わると毎日、自転車で10分ほどの隣町の中学校に通いました。中学ではトップ下やフォワードに専念。技術が身についてきて、サッカーがどんどん楽しくなり、練習試合に出る機会も増えていきました。小学生の頃のサッカークラブのメンバーも多く、みんなと仲良くできると思っていました。

 しかし、ここでも、友人関係に悩みました。他のメンバーを押しのけて練習試合に出るようになると、徐々に同級生から避けられるようになったのです。僕は、他の学校から練習に来ているだけの「異分子」。同級生の自分を見る目が厳しくなり、だんだんと話してくれる仲間が減っていきました。

 部室の棚にスパイクを置いていたのですが、ある日練習に行くと、グラウンドに僕のスパイクだけが無造作に放り投げられていました。

 最初は「置き忘れたのかな?」と思いましたが、次の日も、また次の日も同じようになっていて。「自分を嫌っている人がいる」とはっきりわかりました。嫌なことは忘れるタイプですが、ショックでした。

 「練習に行きたくない」と父に漏らしました。父はその頃、他の保護者に声をかけ、通っている中学校にサッカー部をつくるよう働きかけてくれていて、「サッカー部ができるまでの我慢だ」と励ましてくれました。

コミュニケーションを取る相手を替える

 結局、自分が通う中学校にサッカー部ができた中2の春まで、隣町の中学校でサッカーを続けました。

 同級生にきつくあたられてもサッカーを続けられた理由は、優しく接してくれた先輩たちもいたからです。同級生とは話せなくなりましたが、先輩たちは、恐らくいじめに気がついていたのでしょう。練習中もピッチの外でも、いつも話しかけてくれました。こうした「よりどころ」や「逃げ場」がなかったら、サッカーを続けられなかったかもしれません。

 嫌なことがあった時に「コミュニケーションを取る相手を替える」という自分なりの対策を覚えたのは、この時だったと思います。いじめや嫌がらせをする人がいたら、それ以外の人と付き合えばいい。ネガティブな気持ちの時は、周りの全員から攻撃されているように想像してしまいますが、そんなことはないのです。

 同じクラスの人と話せないなら、他のクラスや他の学校の人と話せばいい。大人と話してもいい。自分を受け入れてくれる人や認めてくれる人は、必ずいます。

ダメな自分も許す 認める

 サッカー選手になった後も、うまくいかずに落ち込んだり、悔しかったりしたことは何度もありました。そもそも選手として、順風満帆だったわけではありません。

 高3の夏休みに入団テストに合格し、卒業後は日本リーグの「マツダ」に所属しました。しかし、6人の新人のうち自分の評価は低かったようで、本社ではなくグループ会社の「マツダ運輸」の配属になりました。試合手当も安く、悔しく思いました。

 日本代表に選ばれた後も、所属チームの監督が代わってレギュラーを外されると、急にネガティブな言葉が気になるようになることがありました。

 日本代表の監督である今も、選手起用や采配、進退などについて厳しい声が届きます。代表監督という立場は「結果商売」。試合に負ければ、批判をされるのは当たり前だと思っています。しかし、周囲からの批判には自分が気付かない「成功へのヒント」が隠されている可能性もある。「いろんな価値観や意見があるんだな」と受け止め、改善に努めればいいのです。

 どうしても自分を認めてくれない人がいたとしたら、認めてくれる人と話せばいい。仮に周りの誰もが認めてくれなかったとしても、自分が楽しめる時間を過ごせばいい。色々な経験をして、色々な言葉に耐えて、今はそう思えるようになりました。

 うまくいかないことがあると、自分を否定してしまいたくなります。でも、そんな時も自分を責めないでください。できる自分も、できない自分も、全部自分。どんな自分でも、まずは自分自身が肯定してあげてください。

 想像したほど力を発揮できないことはあります。それでも、もう一人の自分が「まあ、それもお前だよな」と許し、認めてあげるのです。

 僕は自分に甘いかもしれません。でも、いまつらい思いを抱えている君も、積極的に自分を肯定してほしいと思っています。

 ◇もりやす・はじめ 長崎県出身。1987年からマツダ(現J1広島)でプレー。J1リーグでは293試合に出場し、15得点。日本代表としても活躍し、93年に日本がワールドカップ初出場を土壇場で逃す「ドーハの悲劇」のピッチにも立った。2018年に日本代表監督に就任し、22年のワールドカップカタール大会で指揮をとった。

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