1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

ドナルド・キーンさんの日本文学史は「なぜか無視されている」、盟友・角地幸男さんが問いかける意味

読売新聞 / 2024年9月1日 11時0分

ドナルド・キーンさんが好きだった東京都北区の旧古河庭園を7月に訪れた角地幸男さん

 「“飲み友達”として友人であり、翻訳を教えてくれた先生であり、常に仕事をくださった恩人でした」。翻訳家の 角地幸男 (かくちゆきお)さん(75)は、ドナルド・キーンさんについてそう振り返り、今も 僥倖 (ぎょうこう)に感謝している。1972年から2019年のキーンさんの死去まで半世紀近くに及んだ交流は、前半は飲み友達として、後半は「明治天皇」などキーンさんの著書の翻訳者として綿々と続いた。現在、「ドナルド・キーン 『日本文学史』とは何か?」と題する原稿を執筆中の角地さんに会いに行った。(編集委員 森太)

四半世紀を費やした代表作「日本文学史」

 「キーンさんの『日本文学史』について、だれも何も触れてないんですよ」。東京の自宅マンションの居間で、角地さんの言葉は熱かった。築40年以上という 瀟洒 (しょうしゃ)なマンションは、当時は珍しいセントラルヒーティングを備える。ただ、たばこを吸う角地さんはいつも窓を開けているので、あまり使うことはなく、外からいい風が入ってくる。

 キーンさんが四半世紀を費やして書いた「日本文学史」は代表作であり、「古代・中世編」「近世編」「近代・現代編」の全18巻(日本語版)で構成される。角地さんも「近代・現代編」翻訳の一部に携わった。しかし、その評価について、角地さんは「日本文学研究者や国文学者といった専門家たちから、何十年も完全に無視された状態が続いているんです」と話す。

 歴史の長い日本文学史は、ある時代の作家や作品を研究するのが一般的だ。キーンさんのようにたった一人で書いた通史は評価に値しないのか、外国人だからなのか、あるいは敬して遠ざけるという日本人独特の態度なのか。理由は明確でないにせよ、角地さんは「キーンさんは、自分の原稿に、とにかく何でもすぐ反応してくれないと非常に不安になる人なんですね。あれだけ自信のある人でもね、そういう面があって。逆に、正面きって批評してくれていたら、キーンさんは喜んで論争に応じたでしょう」と残念がる。それならば、「おもしろいか、つまらないか、実際の文章にあたって検証してみよう」と、今年、自身で原稿を書き始めたのだ。

夏目漱石の「明暗」「道草」は「嫌いです」

 角地さんは、キーンさんの日本文学史は、一言でいえば、「なにより読んでおもしろい」ことにあると指摘する。それは、文学史という言葉から受ける退屈な印象とは裏腹に、個々の作品とじかに向き合ったキーンさん自身の「作品」になっているからだという。原稿では、角地さんの前にキーンさんの著作を翻訳していた徳岡孝夫さんの「(キーンさんは)実際の作品にあたって、それがいいか悪いか、どこがいいかを書く」という指摘を引用。そこが、社会的、文学的意義を重視し、作品そのものにはあまり触れない日本の学者たちの文学史とは一線を画するところだと説く。

 原稿では具体的に、キーンさんが「嫌いです」と言った夏目漱石の「明暗」と「道草」を一例に挙げる。そこには、キーンさんが単なる好き嫌いの感情ではなく、なぜ嫌いなのかを作品そのものの出来栄えに絞って評価していることを、原文を引用しながら説明する。さらにこの2作を評価する上で、キーンさんは漱石の全ての作品を読み込んでおり、他の全ての作品については高く評価していることも紹介する。

 キーンさん自身は、日本文学史について「(一人の人物による)一貫した文学観ないし人生観を持った文学史は読みやすいのではないだろうか」と書いている。執筆中の原稿について、角地さんは「キーンさんの文学史の魅力を知ってもらい、彼の作品を読むイントロダクションになればいい」と願っている。原稿は、まもなく完成する予定だ。

飲み友達から翻訳者へ

 「たまたまキーンさんの飲み友達になり、たまたま翻訳するようになりました。たまたまの連続なんです」。角地さんは、キーンさんとの長い付き合いをこう振り返った。

 最初の出会いは、1972年。英字新聞ジャパン・タイムズが発行していたステューデント・タイムズの記者だった角地さんが、キーンさんにインタビューした時だった。角地さん24歳、キーンさん50歳。キーンさんはすでに日本文学を世界に広めた大御所として知られており、角地さんは非常に緊張したそうだ。だが、「会ってみると、ちょっとだけ年上の友達みたいに若々しい人で、緊張感はあっという間に消えました」と振り返る。ただ、「自分は今、とてつもなくすごい人と一緒に飲み、話しているんだ」という緊張感は亡くなるまで続いたという。

 インタビューは日本語で行われ、角地さんが英語で記事を書いた。キーンさんは、日本人と話すときは決して英語を使わず、日本語だった。相手が英語で話しても、日本語で押し通した。そこには、日本文学研究者としての自負があった。

 キーンさんは仕事の息抜きに、角地さんを自宅での食事に毎週のように招くようになった。角地さんはこう振り返る。

おいしい料理とワインとおしゃべりと

 「一番の親友だった三島由紀夫はすでに亡くなっており、安部公房ら彼の友人たちは忙しかったので、ひまだった私が手料理をごちそうになる幸運に恵まれたのです。キーンさんのつくった手料理が食卓に並べられ、フランスパンはオーブンで温めてあり、チーズも前もって冷蔵庫から出し、とろけて食べごろになっている。私はおいしい料理を食べ、ワインを飲み、笑って、ただ聞き上手でありさえすればよかった。文学の話題よりも、オペラ、親しい文学者たちの人物評、裏話、旅行先での体験についての話題が多かった」

 飲み友達として15年ほどたったある日、キーンさんから突然、「翻訳をやってくださいませんか」と頼まれた。それまでキーンさんの著作を翻訳していた徳岡さんがある事情で翻訳を続けられなくなり、新しい翻訳者を見つけなくてはならなくなったのだという。翻訳経験のなかった角地さんは「冗談じゃないですよ」と断った。しかし、キーンさんは角地さんの目をじっと見据えて、「角地さんなら、できます」と一言。その目の力に負けて、角地さんは翻訳をすることになったそうだ。

 角地さんは以来、「明治天皇」「渡辺 崋山 (かざん)」「正岡子規」などのキーンさんの晩年の十数作を翻訳したほか、「私説ドナルド・キーン」などの著書もある。いまもキーンさんの仕事を続けている。私が今年2月に読売新聞とジャパン・ニューズで紹介した、キーンさんの未発表原稿「37年後の日本」も翻訳し、9月発売の月刊文芸誌「新潮」10月号に掲載される。

 キーンさんはよく、冗談まじりに「自分は、正当に評価されていないのではないか」と言っていた。角地さんが「スタンダールでさえ認められたのは100年後ですよ」と答えると、うれしそうに笑っていたという。

 英字版で読むにはこちら(https://japannews.yomiuri.co.jp/original/donald-keenes-legacy/20240819-205889/)。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください