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ぬれた体に電気ショック、食事は腐った肉のスープ…元ウクライナ兵捕虜「地獄の日々だった」

読売新聞 / 2024年8月23日 6時39分

ウクライナの首都キーウ近郊で捕虜となったコレスニコフさん(21日、キーウで)=関口寛人撮影

 【キーウ=倉茂由美子】ロシアのウクライナ侵略が始まってから24日で2年半となる。この間、露軍のウクライナ兵捕虜に対する拷問や非人道的な扱いが問題視されてきた。侵略初期から11か月間、激しい拷問に耐えた元兵士が過酷な実態を語った。

 「人間性を破壊する地獄のような日々だった」。7月8日、首都キーウに住むマクシム・コレスニコフさん(48)は当時の様子を語り出した。手は細かく震えていた。

 金融機関に勤めていたコレスニコフさんは侵略開始直後、「国を守らなければ」と志願し、キーウに迫った露軍と近郊マカリフで戦った。通信施設を守る任務に就いていた2022年3月20日、露軍の戦車に拠点を包囲され、指揮官は投降を決断した。コレスニコフさんら約50人が武器を投げ捨て、手を上げて拠点を出ると、露兵は手を縛って目隠しをし、車で移送した。

 ベラルーシ経由でロシア西部ブリャンスク州の刑務所に着くと、捕虜を支配するための拷問が始まった。朝夕に1人ずつ通路に呼び出され、金属棒などで殴られた後、床を引きずり回された。全裸で建物内を走らされ、「ロシアに栄光あれ」と叫ぶよう命じられた。

 最も恐ろしかったのは、シャワーの時間だ。刑務官数人が捕虜を押さえつけ、ぬれた体に電気ショックを与えた。痛みで叫び声を上げる反応を見て、大笑いをして喜んでいた。「拷問は、彼らにとってただの気晴らしの遊びのようだった」

 ウクライナ国営通信によると、捕虜となったウクライナ兵は1月時点で約8000人に上る。

体重32kg減、「消えない傷残した」

 ロシア西部ブリャンスク州の刑務所に収容された元ウクライナ兵のマクシム・コレスニコフさん(48)は、11か月の過酷な捕虜生活で体重が32キロ減少した。解放から約1年半たった今も、拷問で受けた心身の後遺症に苦しむ。

軍事機密調査

 2022年3月、刑務所に収容されると間もなくDNAや指紋を採取され、顔の3D画像も撮影された。ロシアには、ウクライナで親露派政権が倒れた14年の「マイダン革命」の参加者らを登録したデータベースがあるとされる。登録データに一致すると特に愛国心が強い人物とみなされ、シベリアなど劣悪な刑務所に送られた。

 ウクライナ軍の軍事機密を聞き出すため、露情報機関・連邦保安局(FSB)や露軍の調査委員会による取り調べも受けた。前日には激しい拷問があり、「ぼろぼろの状態で詰問された」。露側はウクライナ軍が保有する米国製の武器や核兵器に関する情報、支持政党などを聞き出そうとしていたが、コレスニコフさんは「何も知らない」と貫き通し、拷問と取り調べは繰り返し続いた。

粗末な食事

 精神的にも虐げられた。大みそかや刑務所長の誕生日には、監房ごとに歌や芸を披露するのが恒例となっていた。互いに競わせ、負け組は拷問を受ける。勝ち組は負け組から取り上げた食料をもらえたという。「どんなに惨めでも生きるためにやるしかなかった」と振り返る。

 食事は冷凍されたままの古い肉や数切れのジャガイモなど粗末なものばかり。腐った肉のスープで捕虜全員が激しい下痢に苦しんだこともあったが、治療を受けられなかった。収容中に3人が拷問や病気で死亡し、そのうち2人は中庭に埋められた。

 コレスニコフさんは常に空腹で、拷問で骨折し、体はどんどん弱っていった。衰弱した体に「腕立て伏せ100回」「腹筋運動200回」といった命令が頻繁に飛んできた。途中で脱落すると、電気ショックを受けた。数々の拷問に加え、「一番つらかったのは情報が遮断され、家族がいるキーウの状況が全く分からなかったことだ」という。

捕虜95%に拷問

 ウクライナで活動する国連の人権監視団によると、捕虜に対するロシアの拷問は組織的に広く行われ、捕虜となったウクライナ兵の95%が経験していた。人権監視団は、捕虜の人道的処遇などを定めたジュネーブ条約に違反しているとして繰り返し非難している。一方、ウクライナによる露兵捕虜への拷問も報告されている。

 ウクライナ政府によると、7月までに捕虜交換は54回行われ、計約3400人の兵士と民間人が帰還した。コレスニコフさんは23年2月、117人の捕虜交換の1人として解放された。

 しかし、1年半がたった今も拷問で痛めつけられた脚や尻に傷が残り、筋肉は 萎縮 いしゅくして元の状態に戻らない。空腹になると当時の飢えや恐怖を思い出すため、常にポケットに食べ物を入れて持ち歩く。「捕虜生活は消えない傷を残した」とコレスニコフさんはつぶやく。

 従軍に後悔はない。祖国のため、妻(41)も理解してくれた。「ウクライナは屈服できない。我々の存亡をかけた戦争だ」。今も愛国心に駆られているが、脚のけがが重く、前線復帰はかなわなかった。(キーウ 倉茂由美子)

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