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「私はいろんなことできる」、障害あっても「かわいそう」じゃない…パリの泳ぎで証明する

読売新聞 / 2024年8月26日 5時32分

 トリコロール(三色旗)がはためく自由の国、フランスで28日、パリ・パラリンピックが開幕する。周囲に支えられながら心身を鍛え上げ、ハンデをものともせず躍動する選手たちに迫る。

[トリコロールの下で パラリンピック]<1>競泳 宇津木美都 21

 3年前の夏、東京パラリンピックの競泳女子100メートル平泳ぎ決勝。大阪体育大1年だった宇津木 美都 みくに選手(21)は初出場ながら、世界の強豪相手に6位入賞した。会心の泳ぎに屈託のない笑顔で喜びを表した18歳は一躍、時の人になった。

 閉幕後、小学校から講演を頼まれるようになった。「夢に向けて頑張る大切さを話そうかな」と張り切って会場に向かったが、肘から先がない自分の右腕を見た児童たちの反応に戸惑った。

 「手がなくてかわいそう」

 「困ることはありませんか」

 気にかけてくれる気持ちはありがたいが、障害のことばかり尋ねられるとは思わなかった。荷物は脇に挟んで運べるし、包丁を左手で握れば料理も難なくできる。右手がないのは生まれつきだから、これまでの人生で「困った」と思ったことはない。

 「荷物をたくさん運べないことかな」と笑顔で言い繕ったが、ショックだった。「私って哀れみの目で見られていたの?」

 生まれは京都市。幼い頃から、父・秀史さん(48)に「右手がないのは、背丈の高さと同じで、人それぞれが持つ個性と思いなさい」と言い聞かされて育った。

 スポーツ好きの両親に連れられ、3歳から地元のスイミングスクールに通った。縄跳びも竹馬も、右手で握れなくても操れるよう、取っ手にパイプなどを取り付け、右腕をはめて遊んだ。

 小学4年から始めた陸上で脚力が鍛えられ、競泳では平泳ぎのキックが武器となった。中学進学後はパラ水泳の大会にも出場し、3年時に50メートル平泳ぎでアジア新記録を樹立。スランプの時期も腐らず練習を続け、東京パラの大舞台へと駆け上がった。

 特別扱いされずに育ち、「障害がある」との自覚はなかった。しかし、パラリンピックを経験し、世間の見る目は違うことを痛感させられた。

 だから、健常者の大会にも挑戦した。右手がない分、水をかく力が弱く、キックに頼っていたが、ウェートトレーニングで上半身を鍛え、上腕を大きくかくフォームに改造。今年3月の代表選考会では、100メートル平泳ぎで、7年ぶりの自己ベスト更新となる1分25秒23のアジア新記録をたたき出し、パリ行きを決めた。明るさや精神的な強さを買われ、パリでは日本競泳陣22人の副主将を務める。

 将来の夢は、両親と同じ小学校の先生になることだ。昨年秋、教育実習で訪れた母校の小学校では、右手のない姿に驚く児童らに右腕で“握手”をし、努力であらゆる障壁を乗り越えてきたことを語りかけた。「私はいろんなことができるから、かわいそうなことなんてないからね」。子どもたちが健常者と障害者の間に余計な壁を感じずに育てば、多様性を認め合う社会ができるのではないか、と近頃は思う。

 「夢をかなえ、目標を達成することに障害の有無は関係ない。障害者は決して気の毒な存在ではない」。パリの泳ぎで、それを証明してみせると誓っている。(波多江一郎)

日本選手団 若返り進む

 パラリンピックの起源は、英国ストーク・マンデビル病院で1948年、ルートビッヒ・グットマン医師が第2次世界大戦の戦傷者のリハビリのために開催した車いすアーチェリー大会とされる。60年にローマで国際大会が開かれ、後にこれが第1回夏季パラリンピックとされた。

 17回目となるパリ大会は22競技549種目が実施され、選手約4400人が参加する。うち日本勢は176人で、シッティングバレーボールを除く21競技に出場する。海外で行われるパラリンピックとしては2004年アテネ大会の163人を超え、過去最多となる。

 今大会の日本選手団は10~20代の選手が半数を占め、平均年齢は31・4歳。16年リオデジャネイロ大会の33・7歳、21年東京大会の32・7歳と比べても低く、若手の活躍に期待が高まっている。

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