1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

対馬丸撃沈から80年、来年度28年ぶりの水中調査へ…鹿児島県・悪石島沖の海底870m

読売新聞 / 2024年8月23日 9時17分

 対馬丸の撃沈から80年の節目を迎えた22日、悲劇を伝える沖縄県内の施設などでは追悼行事が行われ、鎮魂と平和への祈りに包まれた。那覇市の対馬丸記念館で催された祈念式典では、自見沖縄相が鹿児島県・ 悪石 あくせき島沖に沈む対馬丸の水中調査を来年度に実施する方向で調整していることを明らかにした。実現すれば28年ぶりとなる。

 調査は遺族らでつくる「対馬丸記念会」が要請していた。政府が1997年に行った調査では、深海探査機で沈没場所を特定。同島の北西約10キロ、水深約870メートルの海底で船体を発見し、「対馬丸」の文字を映像で捉えた。

 政府関係者によると、検討中の水中調査では無人機を海底に投入し、船体の構造を調べたり、撮影したりすることが想定されるという。来年度予算の概算要求に関連経費を盛り込む方向で最終調整している。自見氏は式典後、「調査は環境が整えば速やかに行いたい」と語った。

 一方、犠牲者を慰霊する「小桜の塔」で営まれた慰霊祭には約400人が参列し、当時13歳の姉を亡くした 津波古 つはこ敏子さん(90)(那覇市)は「80年経っても悲しみは薄れない。子や孫に同じような思いはさせたくない」と話した。祈念式典では記念会の 高良 たから政勝・代表理事(84)が「(記念館を)語り継ぐ拠点として、若い皆さんが伝えてほしい」と述べた。

 対馬丸は44年8月22日夜、米潜水艦「ボーフィン号」の魚雷攻撃を受けて、わずか約10分で沈没した。

語り部の母の思い継ぐ

 「母の平和への強い思いを身近で感じてきた。平和を希求する活動を前に進めたい」

 今年4月に対馬丸記念館の館長に就任した 平良次子 たいらつぎこさん(62)は、生存者の語り部として奔走した母・啓子さん(昨年7月に88歳で死去)をしのび、そう誓う。

 当時9歳だった啓子さんは、対馬丸が沈む中、荒れた海でいかだにつかまり、漂流6日目に鹿児島県・奄美大島の 宇検 うけん村に流れ着いた。同じいかだには当初10人がしがみついていたが、生き残ったのは4人だけ。一緒に乗船していた兄や祖母も犠牲になった。

 戦後、小学校教員の傍ら語り部活動を始め、亡くなる直前まで約40年間にわたって、全国の学校などで自らの体験と平和の尊さを伝え続けた。「体験を語るたびに悲しく、『自分だけが助かった』という後ろめたさを感じていたはず」と、次子さんはおもんぱかる。

 そんな啓子さんの姿を見て育った次子さんは大学卒業後、沖縄県内の文化施設の学芸員になり、昨年定年退職するまで沖縄戦の体験者の証言集めや平和学習の企画にも携わってきた。

 今年、館長就任の打診を受け、「経験がいかせるなら」と引き受けた。母も含めた生存者たちが「平和のために」とつらい過去と向き合いながら語り継いできた姿にも背中を押された。

 啓子さんは晩年、世界で戦争や紛争が絶えず、日本で防衛力の強化が進められていることに懸念を示し、「現状を変えられない悔しさがある」と話していた。その後も状況は変わらず、次子さんは「(母は)今の世の中を心配しているだろうな」と感じている。

 悲劇から80年の今年、記念館の開館からも20年を迎えた。記憶の継承が課題となる中、「一生懸命に語ってくれた生存者の方々のためにも、証言集や本なども活用しながら伝えていきたい」。先人の思いを胸に、平和な未来の実現に向けて力を尽くす考えだ。(横山潤)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください