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逆転のピンチに「代えてほしいと思っていた」…斎藤雅樹が克服した弱さの先に生まれた11試合連続完投勝利

読売新聞 / 2024年9月1日 12時30分

サイドスローに転向後、大きく曲がるカーブを武器に躍進した斎藤

 大黒柱として読売巨人軍を支えた斎藤雅樹氏(59)がエースの美学や矜持、当時の苦労を語った。(敬称略)

 「平成の大エース」が開花したのは、プロ7年目のことだった。藤田元司が2度目の監督に復帰した1989年。先発ローテーション入りした斎藤に大きな転機が訪れる。5月10日、横浜スタジアムでの大洋戦だ。

 八回表を終え5―1とリードしていたが、その裏につかまり3点を失う。同点、逆転のピンチが続く。「もう絶対、代えた方がいい」。途中から自分でも継投を願っていたという。すがる思いで視線を送ったベンチから、藤田監督が出てきた。しかし、指令は続投だった。

 マウンド上で、どんな言葉をかけられたか、覚えてはいない。自分の甘さか、弱さか。監督の意図は推察するしかないが、「僕が代えてほしいと思っていたことは、監督もわかっていたと思う」。ひと山越えてみせろ――。そう受け取った斎藤は一直併殺打でしのぐと、九回は三者凡退に。152球の完投勝利だった。

 そもそも、このシーズンが始まる前、藤田監督から精神的にも救われている。けがの影響もあって伸び悩み、「ノミの心臓」と 揶揄 やゆされ始めていたが、「お前は気が弱いんじゃない、優しいんだ」と諭され、開幕ローテも任された。さらに、5月10日の前回登板は3日前。広島戦で早々に崩れ、1回3安打2四球、3失点で降板していたが、中2日で挽回する機会が用意された。

 背中を押され、試練も与えられた。「あの時、最後まで投げられたのがすごく自信になった」。11試合連続完投勝利の起点は、この5月10日だ。「まずは5回」を意識しながら踏ん張り通した先に、今も破られていない日本記録が樹立された。

 「藤田さんなしでは語れない僕の野球人生」と率直に思う。唯一、厳しく 叱責 しっせきされたのは、この年の終盤、初のタイトルとなる防御率を維持するため、19勝で登板を終えたいと告げた時だ。「お前、何言ってるんだ。20勝なんて何回もできると思うな」。おかげで20勝7敗、防御率1・62と2冠に輝いて一気に飛躍。翌年も20勝を挙げた。

 サイドスロー転向のきっかけをくれたのも藤田監督だった。江川に憧れ、入団当初はオーバースロー。二軍暮らしで投手と野手の二つを練習していた1年目の7月、多摩川の練習に一軍の指揮官が来た。「腕ちょっと下げてごらん」。ブルペンでの投球中にそう助言された。カーブが劇的に曲がるようになった。

 曲がり幅を操ることで、長年バッテリーを組んだ村田真一は「カーブは何種類もあり、自由自在だった」と証言する。手首を立てるイメージで投じるカットボールのような軌道を描く「真っスラ」と合わせ、大きな武器となった。

 槙原、桑田と共に3本柱と呼ばれた。「3人で負担している思いは強かった」と言うが、好投手との投げ合いに心が燃えさかるようになっていた。「打者よりも投手と勝負するというかね。特に相手がエースの時は、『絶対先に降りねえぞ』というのはあった」。通算180勝。完投数は実に113もあった。

さいとう・まさき 1983年、埼玉・市立川口高からドラフト1位で入団。先発として開花した89年から2年連続20勝を達成。通算180勝96敗11セーブ、防御率2・77。5度の最多勝と3度の沢村賞に輝いた。

「10・8」勝利呼びこんだ早めの斎藤投入

 同率首位同士が最終戦の直接対決でリーグ優勝を争った「10.8決戦」。巨人は槙原、斎藤、桑田の3本柱によるリレーで逃げ切った。当時の正捕手・村田真一は、斎藤投入のタイミングを最大の勝因に挙げる。

 二回に2点を先取した直後、槙原は4連打と味方の失策で2点を奪われた。なおも無死一、二塁。ここでベンチは動く。2日前に6回112球を投じていた斎藤を早くも送り出した。

 村田は内心、槙原に同情したという。安打は不運な当たりばかり。調子は悪くないと感じていた。しかも、打席は投手の今中だ。

 一方、投手コーチの堀内は「槙原、斎藤、桑田で3回ずつ」というプランをあきらめた。交代機を思案する長嶋監督に、この場面での継投を進言。理由について堀内は「今中に代打を送れるわけがない、バントだろう。斎藤の方が三振を取れるし、守備力でも槙原より上だった」と述懐する。

 試合再開。今中のバントは投前へ転がった。入団当初、野手転向説もあった斎藤は流れるような動作で三塁へ送って封殺。その後の一死一、二塁も切り抜けた。勝ち越せなかった中日は勢いに乗れず、逆に巨人は落合の適時打や村田、松井のソロなどで加点し、突き放した。

 勝利の美酒に酔いしれた村田は時がたって冷静になると、継投に踏み切った決断力に感嘆した。「相手投手が打席を迎えるのに、守る側が投手を代えるなんて見たことがない。でも、確かに斎藤の守備力の方が断然上だ。すごいな……」

 桑田のガッツポーズ、落合の涙、長嶋監督の胴上げ――。数々の名シーンの中で、村田が胸に刻んだ瞬間は二回の継投策だ。現役を引退しコーチとしてユニホームを脱ぐまで、投手の守備力という要素を意識する癖が付いたという。貴重な「10.8の教え」だった。

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