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センバツ初V・夏2回戦惜敗の健大高崎、23年前はボール1ダースとバット1本の同好会…空き地で草取りから

読売新聞 / 2024年9月5日 15時53分

 史上8校目の春夏連覇をかけて甲子園に出場し、2回戦で惜敗した健大高崎高野球部の夏が終わった。チームは創部以来初めて、秋から夏の群馬県大会で3連覇を成し遂げ、春の選抜大会では県勢初優勝の快挙も果たした。全国有数の強豪に成長したが、生まれたのはわずか23年前。きっかけは、一人の1年生の働きかけだった。(日野響子)

小さな空き地で

 初代主将で現在は同部OB会長の倉持雄太さん(38)は共学化1年目の2001年に入学した。当然野球部はなく、「高校でもやりたい」と40人しかいない同級生の男子全員に声をかけた。半分が賛同して5月に同好会ができたが、学校がくれたのは野球ボール1ダースとバット1本、使われていない小さな空き地だけだった。

 放課後に雑草を抜き、小石を拾った。塁を置いてダイヤモンドを作ってみたが入りきらず、二塁は少しマウンドに近づけた。

 放課後は毎日キャッチボールやノック練習をしたが、経験者は4人だけ。同好会では大会にも出られず、仲間だけで和気あいあいと取り組んだ。ミスをしても誰も文句は言わなかった。

初の県大会は0―12

 転機は1年後の4月。野球部に昇格し、現れたのが青柳博文監督だった。始業式後、教室で監督は言った。「甲子園を目指して厳しくやっていく」「まずは頭を丸めてこい」。

 「遊びのつもりだった」と、監督の話の途中で部員の3分の1が教室を出て行ったが、残った部員は翌日、教室の床に新聞紙を敷いてバリカンで髪を刈った。

 その日から練習は大きく変わった。青柳監督からは「一歩が遅い」と怒号が飛び、練習をボイコットする部員もいた。初出場した夏の県大会は初戦で0―12の七回コールド負け。ユニホームと校名入りのバッグが恥ずかしくなり、隠すようにバッグを自転車のカゴに載せた。

 それでも、倉持さんたち1期生9人は最後まで続けた。3年の夏の県大会が終わると、青柳監督は泣きながら言った。「お前たちが作ってくれたからこの野球部がある。これから俺が強くしていくから、応援してくれ」

「OBと全員で取った勝利」

 それから21年。チームは箱山遥人主将の「勝ちにこだわり泥くさく」という方針の下、選抜大会で優勝し、「弱い」と言われ続けた夏の県大会も9年ぶりに制した。夏の甲子園は2回戦敗退となったが、倉持さんは「重圧の中、春夏連続で甲子園に出たことに尊敬と感謝の気持ちでいっぱい。OBとして誇らしかった」とたたえた。

 試合後、箱山主将は「野球部がなければこの仲間と出会っていなかった。(夏の県大会優勝は)OBの方々と全員で取った勝利。甲子園の舞台を全員で見ることができて良かった」と目を赤くした。そして、「健大高崎を夏の甲子園に行ける学校にできた。それを崩さずにいってほしい」と、倉持さんたちのように、後輩の活躍を願った。

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