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義足ジャンパー中西麻耶が集大成の7位…波乱万丈の競技人生、たどり着いた広島で温かい支援受ける

読売新聞 / 2024年9月1日 5時27分

女子走り幅跳びで7位に終わった中西麻耶(8月31日)=須藤菜々子撮影

 【パリ=松本慎平】女子義足ジャンパーの先駆者、中西麻耶選手(39)は31日のパリパラリンピック陸上走り幅跳びで7位となり、メダルに届かなかった。パラリンピック初出場から16年。米国、大阪、兵庫など各地を転々とし、「集大成」となる5度目の大会は、2年前に移住した広島県東広島市を拠点に戦った。地元への感謝の気持ちで跳び、「メダルのお土産はないが、胸を張ってありがとうと言いたい」と語った。

 大歓声に包まれたパリ近郊の競技場。1本目の跳躍で4メートル91を記録したが、メダルは遠かった。最後の6本目が終わると、東広島での競技生活を支えてくれた友人の山岡 璃小 りおさん(21)と抱き合い、やり切ったような笑顔を見せた。

 事故で右脚を膝下から切断したのは21歳の時。2007年からパラ陸上に挑戦し、08年北京大会に短距離競技で初出場。翌年、レベルアップのため単身で渡米し、主戦場を幅跳びに移した。

 競技活動の資金集めでは苦労を重ねた。居酒屋店員など複数のアルバイトを掛け持ちし、12年ロンドン大会前にセミヌードのカレンダーを発売すると、「障害を売り物にするな」と批判も受けた。その後はスポンサーの支援も受け、16年リオデジャネイロ大会、21年東京大会と出場したが、メダルに手が届かなかった。

 6位だった東京大会後、パリを目指して兵庫で練習していたが、コーチやスタッフらとの人間関係で悩み、記録も停滞した。

 「こっちへ来たらいい」。救いの手を差し伸べたのは璃小さんの母で、東広島市で生花店を営む 味加 みかさん(51)だった。合宿で同市を訪れた際、知人に贈る花を購入した縁で親しくなった友人だった。店を手伝いながら居候させてもらい、しばらくしてから練習を再開した。

 東広島での新生活によって、心に安らぎが生まれた。不慣れな土地での暮らしを気遣ってリンゴを差し入れてくれる近所のおばあちゃんに、食事に誘ってくれる生花市場の関係者。自らスポンサー契約終了を申し出て、自然体で競技に向き合うことができた。

 練習では専門のコーチを頼まず、璃小さんに動画撮影などのサポートを頼んだ。璃小さんは競技経験ゼロだが、見たまま、感じたままを率直に伝えてくれる。自分のジャンプを見つめ直す力になり、5月の世界選手権(神戸)で3位に入った。

 大会前に地元有志が開いた壮行会では、長い競技人生の中で「こんなに応援してもらったのは初めて」というぐらい励まされた。

 東広島市のパブリックビューイング会場には31日夜、市民ら約80人が集まり、画面越しに応援した。跳躍のたびに「麻耶!麻耶!」というかけ声と手拍子が響いた。最後の跳躍が終わると、残念がるため息が漏れたが、すぐにねぎらいの拍手が送られた。

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