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ボランティアのためお好み焼き店閉じ広島から輪島へ移住…「これでも高齢者」と笑う72歳、パワフルな活動で住民支える

読売新聞 / 2024年9月2日 7時22分

ボランティア活動に汗を流す佐渡さん(輪島市で)

 能登半島地震から1日で8か月――。厳しい暑さが続く被災地でボランティア活動に力を入れている佐渡忠和さん(72)は、地震で甚大な被害が出た石川県輪島市町野町に、発災後に移住した。孤立集落となった町野地区に駆けつけての活動をきっかけに、約20年営業してきた広島市のお好み焼き店を閉じて4月には町野地区に転居し、今も人助けに汗を流している。

(武山克彦)

 「やれるとこまでやりましょう」。炎天下の8月4日、町野地区の旧旅館で大きなタンスや70人分を超える布団をボランティアの一人として運び出す作業にあたった。支援を要請したのは旅館経営者親族の金沢市の男性(66)で、休日に通い続けるがなかなか片付けが進まなかったという。男性は「一人ではできないので、本当にありがたい」と 安堵 あんどの表情を見せた。

 ボランティア歴は長く、これまで、東日本大震災や熊本地震など数々の被災地でボランティア活動を行ってきた。だが、1月3日に単身、孤立集落となった町野地区に飛び込んだ際は異質で、眼前に広がる光景に「どうしたらいいか、分からない」としか思えなかった。

 広島市で元日の地震を知り、簡易トイレや寝袋、水を乗用車に詰め込んで同2日午後3時頃、輪島市へと走り出し、夜中には能登町に到着した。土砂崩れで道路が通れず、全てのタイヤがパンク。リュック二つとヘルメットを持ち、徒歩で土砂の上や崩れた道を15キロほど歩いた。

 町野地区に着いたのは同3日の明け方。目に飛び込んできたのは被害の山だった。至る所で住宅が崩れ、住民が下敷きになっていた。ぼうぜんとするほかなかった。

 観光客や住民とともに避難所で過ごし、同5日頃になると、車を乗り捨てた場所まで戻れるようになり、車に乗って支援物資を取りに行き、ようやく住民らに渡せた。

 これは食料も不足する――。一度広島市に戻り、鉄板や材料を軽トラックに積み込むと町野地区に向かった。長時間の運転で疲労 困憊 こんぱいだったが、食事を待つ住民のことを思うと眠気と戦えた。町野地区では「人生で一番まずいお好み焼き」を作った。それでも被災者たちは涙を流しながら喜んだ。その姿がまぶたの裏に焼き付いた。

 広島市と輪島市を行き来して支援を続けることには限界を感じた。広島市での生活を捨て、町野地区の海岸沿いにある古民家を購入した。6月中旬には広島市のお好み焼き店を閉めた。

 「町野地区のゆったりとした感じが合っている」と、被災した建物からの荷物の運び出しを続けながら、開催が危ぶまれた地元のキリコ祭りの再開にも取り組んだ。「これでも高齢者だぞ」と笑いながら、パワフルな活動で地元住民を支え続けていく。

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