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澤穂希さんの「大丈夫は魔法」、13年前のなでしこジャパン「世界一」を手繰り寄せた「声」

読売新聞 / 2024年9月3日 10時0分

岩清水さん

 女子プロサッカー・WEリーグの日テレ・東京ヴェルディベレーザに所属する岩清水梓選手が、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に登場。優勝した2011年ワールドカップ・ドイツ大会の思い出を振り返り、W杯優勝チームをメンバーとしてけん引した澤穂希さんの「魔法の言葉」について明かした。

19歳で代表デビュー

 岩清水さんは19歳で日本代表に初選出。W杯ドイツ大会で優勝し、翌年のロンドン五輪で銀メダル。15年のW杯カナダ大会で準優勝を経験した。現在も現役でプレーし続ける日本女子サッカーの「レジェンドプレーヤー」の一人だ。

 岩清水さんにとって「なでしこジャパン」とはどんな存在か?

 「サッカー選手である以上は目標の場所。なでしこジャパンに入りたいという子どもたちもたくさん増えている中、サッカーをやる上では目標の場所だと思っています」

 さらに、次のように続ける。

 「その時代にサッカーさせていただいてありがとうございますという気持ち。たまたま自分が23、24歳くらいで、少し経験を積み、でも若手で、自分の体が動く時期に(W杯など)素晴らしい大会を澤さんとやっているんですよ。できすぎだよね」

 岩清水さんは、番組MCをつとめる元日本代表・槙野智章さんの1歳年上。槙野さんは「タイトルも取って輝かしい成績。(A代表として)122試合に出場。100試合を超える選手はなかなかいない。体調を含めて準備しなきゃいけない数字だと思う」と賛辞を惜しまない。

 岩清水さんにとって、代表デビュー戦は忘れられないという。

 「19歳で呼ばれて。ベンチだったけど、出ると思ってなかった。何げにウォーミングアップして呼ばれた。『出るの?』っていう時はやっぱ覚えてるし、たまたま自分のおじいちゃんとかも岩手から見に来てくれてた試合で出場できたのは今でも覚えてる」

 槙野さんからの「試合は楽しめた?」との問いには、「全然楽しめない(笑)。自分が出たことで迷惑かけたくないし、なんとか乗り切りたいというドキドキ感しかなかった」と振り返った。

「楽しむ」捨てました

 2011年6月に開幕したW杯ドイツ大会は、3月に発生した東日本大震災の混乱の中での大会だった。

 1次リーグを2位で突破した日本は、決勝トーナメントで開催国・ドイツ、スウェーデンに勝利して決勝に駒を進めた。

 決勝でぶつかったアメリカ代表はワンバック選手やモーガン選手といった強力なFW陣で相手を圧倒する「世界最強」チーム。試合はアメリカが攻め、日本がしのぐ展開だった。

 「決勝までいけたじゃないですか。『楽しもうよ』ってみんなで試合に入ったわけですよ。でも早々から大ピンチばっかりで、『楽しむ』、捨てました、すぐ。楽しんでられない。なんとか猛攻をしのぐことしか考えてなかったし、試合を見返すと、運良く決められなかったシュートがいっぱいあった。『よくこれ入んなかったね』って、本当にたくさんあって、運良く入んなかった」

 大会を通じてチームには合言葉があった。

 「前半ゼロゼロで(ハーフタイムに)帰ってこようっていうのが合言葉。なんでもいい。前半ゼロゼロっていうのが試合を戦う上での合言葉」

 良い意味での想定外もあった。アメリカは前半、前掛かりになって日本に攻め込まなかった。

 「そんなに前線からのプレッシャーが激しかったわけじゃなく、日本がボールを持つとちょっと引いて。だから、(ボールを)持たせてくれるんだったら持つよって話で『ボール持とう』ってなったの。相手に渡したらすっげぇ猛攻が来るわけ。だから、自分らのボールになったら『回そう、回そう』って言って、後ろでだいぶ時間かせぎをした。自分たちでそういう戦術に変更」

 「ワンバックとかモーガンって、どれだけすごいの?」と、槙野さん。

 岩清水さんとワンバックさんとの身長差は約20センチ。

 「だから背負われたら終わりね。クロスの対応もラインコントロールより、『触る』。ずっと邪魔できる位置。たとえキーパーの前までズルズルいったとしても、絶対に放さない。(触れない位置にいると)怖い怖い」

 「この2トップはね、鉄板すぎた。ワンバックがやっぱすごいのと、シュートはうまいし、大きさもあるし、速さもある」

澤さんの同点ゴールからの退場

 1-2でむかえた延長後半。宮間あやさんのコーナーキックを澤さんが合わせて同点に追いついた。

 「澤さんのゴールじゃないですか」(槙野さん)

 「すごくない(笑)?」(岩清水さん)

 「何回も見たし、いろんな人から聞くけど、全国の少年少女がまねしたらしいじゃん、あれ」(岩清水さん)。日本サッカー史に残るスーパーゴールだった。

 宮間さんのコーナーキックも正確だった。「宮間のキックがすっごい良いのよ。あの人の球質、スペシャル。スピードも回転もマジ気持ちいいから」

 あの瞬間の岩清水さんは?

 「ファー担当だったから、ファーにボール来ないでくれって思ってたの。(ボールの)滞空時間が長くて、競り勝てない確率が高いから」

 岩清水さんは延長後半、サッカー人生で初めてのレッドカードをもらう。

 「いつもどおりの奪い方で、普通のプレーだと思っていた。(笛が)鳴った瞬間は、『なに?』って」

 「退場した後は『ピッチを見ないでください』って言われて。廊下でね、カメラマンさんがモニターチェックするくらいの小さなモニターで、映像を見てたの。頼む、耐えろって泣きながら見てた」

澤さんの言葉の力

 この試合はアメリカに先制されて追いつき、延長戦でまた得点を許し、澤さんのゴールで再び追いつくという展開だった。同点で延長戦を終え、試合はPK戦へともつれ込む。そして、3-1で勝利し、日本は初めて世界の頂点に立った。

 「後半にモーガンにやられて。DFとしてはその1点がショックすぎて。先制したかった。で、なんとかしのいでというゲームプランを考えていた。『アメリカ相手に追いついたことあったっけ?』ってショックだった」

 「でもさ、震災の後っていうのもあって、あきらめちゃいけないっていうのは今まで以上にあった。大会を通じて日本に良いニュースや笑顔を届けようっていう、日本へのメッセージを考えて戦っていたから」

 チームがネガティブになりそうなとき、澤さんの言葉がチームを救ってくれた。

 「澤さんが『いこうよ、いこうよ』って大きい声で言ってくれて。がく然としていた私たちがすぐ顔を上げられた。あの試合の切り替えは早かった」

 澤さんの言葉には、信じてしまう不思議な力があるという。

 「澤さんの『大丈夫』は魔法ですから」

プロフィル

岩清水梓(いわしみず・あずさ)

 日テレ・東京ヴェルディベレーザ所属。ポジションはDF。2011年ドイツW杯で優勝。12年ロンドン五輪で銀メダル。15年カナダW杯で準優勝。所属クラブではリーグ4連覇に貢献。2020年3月に第1子を出産し、現在も現役選手としてピッチに立つ。今年3月に初めての著書『ぼくのママはプロサッカー選手』(小学館クリエイティブ)を刊行。1986年生まれ。岩手県滝沢市出身。

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