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ディズニーホテル運営会社社長「ファンタジースプリングスホテルは私にとって『マスターピース』」

読売新聞 / 2024年9月8日 14時0分

「ファンタジースプリングスホテルは、私にとって『マスターピース』」と語るベスフォードさん(同ホテルで、小関新人撮影)

 東京ディズニーシー(千葉県浦安市)に6月6日、8番目のテーマポートとなる「ファンタジースプリングス」とともに、「東京ディズニーシー・ファンタジースプリングスホテル」(客室数475室)がオープンした。運営しているのは、「ミリアルリゾートホテルズ」。東京ディズニーリゾートの運営会社・オリエンタルランドの子会社だ。「ミリアル」社社長のチャールズ・ベスフォードさん(67)は、ホテル業界に身を置いておよそ半世紀となるイギリス人。同ホテルの特徴や自らのホテリエ(ホテルで働く人)としての歩みについて、話を聞いた。(デジタル編集部 小関新人)

「今までにないチャレンジ」

 同社が現在運営しているのは、ファンタジースプリングスホテルを始め、ホテルミラコスタなど計五つのディズニーホテルだ。このほか、同社のグループ会社である「ブライトンコーポレーション」は、「京都ブライトンホテル」など三つのホテルのほか、「東京ディズニーセレブレーションホテル」を運営している。

 「ファンタジースプリングスホテル」はベスフォードさんがオリエンタルランドに移籍してから開業に関わった、6番目のホテルだ。

 ベスフォードさんは「今回は、今までにないチャレンジをしたホテル」と話す。これまでのディズニーホテルは、特定の時代のある場所の建築とか作品といった、テーマ性を帯びたものを作っていた。今回は時代や場所、作品にとらわれず、「ファンタジー」という世界観で作ったものだ。

 また、ディズニーホテルで最上級となるサービスが受けられる、ラグジュアリータイプの「グランドシャトー」と、デラックスタイプの「ファンタジーシャトー」という2タイプに分けているのも大きな特徴だ。グランドシャトーの宿泊客には、専属のキャストが付いて客の要望に応えるほか、専用のフランス料理のレストランや、専用のパークへの出入り口など、最上級らしいサービスが用意されている。

 このような形にしたのは、長年接してきた、ディズニーホテルの「ゲスト(宿泊客)」のニーズを踏まえた結果だという。「ゲストは、パークとの一体感を第一に求めています。パークが閉園となってホテルに戻ってきても、ディズニーの世界とつながっている、現実に戻らなくていいということを求めているのではと思います。だからホテルはパークとの一体感を感じさせる作りとなっています」

 同じホテルの中に、二つの異なるタイプの「シャトー」を設けたのは、ホテルのグレードをもう少し高めてほしいという声を受けてのものだ。「ゲストのほぼすべては、パークの運営時間にあわせてチェックインやチェックアウト、食事などを行います。だから、一般のホテルと違って、特定の時間に集中して混み合うことがあるんです」。そのため、混雑する空間ではなく、ゆっくり優雅にホテルで過ごしたいという要望も強く、56室だけのグランドシャトーを作ったという。

 「今までの経験を踏まえて、これまでとは違ったディズニーホテルとしてこのホテルを作り上げたので、私は、ホテルを作る人間としての最終試験の作品、つまり『マスターピース』を作ったような気持ちでいます。ホテリエとして、やっと一人前になれたような感じです」と話す。

日英の経験生かしホテリエに

 そんなベスフォードさんは1957年、都内で歯科医師として働くイギリス人の父とカナダ人の母の間に、横浜市で生まれた。インターナショナルスクールに通学していたものの、13歳の時に、親の意向でイギリスの全寮制寄宿学校に入学するため渡英した。「当時の日本の、英語での教育水準を親が不安に思っていたようで、英語できちんとした教育を受けさせたかったようです」

 卒業後の1976年に日本に戻り、東京ヒルトン(現在のザ・キャピトルホテル東急)に入社し、ホテリエとしての第一歩を踏み出した。

 人をもてなす仕事につきたいという気持ちが芽生えたのは、幼少期。横浜の自宅で親がよくホームパーティーを開いていて、ドリンク作りなど手伝いをしていると、客から褒められ、やりがいを感じた。また、日英を往復する際にはホテルを利用することも多く、ホテリエの仕事ぶりを目の当たりにしていた。卒業後の進路を考えたとき、自分は日本語と英語が出来るから有利だと考え、帰国してホテリエになろうと思ったという。

 「当時は多少シャイではあったけれど、会話や人を喜ばせることは好きだった」というベスフォードさん。振り出しの東京ヒルトンでは、20以上の部署をローテーションで働いた。「食器類を維持・管理する、スチュワード業務が一番楽しかったですね。細かいものを研究することが好きで、そのころは食器について研究していました。今でもこのナイフの作りがどうのこうのと部下に言うんです。結構うるさいんですよ」と笑う。

 2年半の勤務の後、フィリピン・マニラの「ヒルトン・マニラ」に配属され、六つのレストランのマネジャーを務めた。その後、韓国・ソウルのヒルトンを経て、1986年、ヒルトン大阪のレストランや宴会業務の責任者である料飲部長となった。

好きだった大阪から舞浜へ

 ベスフォードさんと東京ディズニーリゾートとの本格的な関わりは、1988年の東京ベイヒルトン(現在のヒルトン東京ベイ)のオープンに合わせて、料飲部長として舞浜に赴任したことが最初だ。

 「ヒルトン大阪は、梅田駅前という立地が最高で、レストランに行列が出来るほど人気でした。私の師匠にあたる人がベイヒルトンの総支配人になるということで声をかけられたので、舞浜赴任は新しいチャレンジだとは思ったのですが、大阪が好きだったので、正直、異動はしたくはなかった」と振り返る。

 当時の舞浜はホテルもわずかで、「都心から15分で来られるような場所に、ホテルは必要ないんじゃないか、苦戦するんじゃないか」とベスフォードさんは当初は思っていた。

 ところが予想に反し、ベイヒルトンは大盛況。同時期にいくつかのホテルがオープンしたこともあり、舞浜地区が都市型リゾートとして注目されるようになったことも追い風となった。都心からやってきた客たちで、客室のみならず、レストランや宴会場もにぎわった。「海も見えるし、ヤシの木もある。都心とはまったく別の雰囲気の場所に、わずか15分で来られるというのが受けたんですね。考えた人は見る目があったと思います」。開業間もない時期に客が殺到したため、ホテリエの人数もサービスも追いつかず、大変だったという。

 「初めてのリゾートホテル勤務だったので、とても面白かったです。お子様の多さにはびっくりしましたね。それまであまり接することがなかったので、最初の頃は接し方に戸惑うこともありました」。ベイヒルトンにはアメリカのディズニー関係者がよく宿泊していたため、オリエンタルランドとの会合やレセプションなども行われていた。その中で、後にベスフォードさんをスカウトすることになる、オリエンタルランドの加賀見俊夫社長(当時)とも知り合うことになった。

 その後、ベスフォードさんは、1991年に大阪時代の元同僚から誘われ、開業準備中だったウェスティンホテル大阪に入社。当初は、料飲部長兼副総支配人を務める予定だったが、開業3か月前に提示を受けて、36歳で総支配人となった。

 1996年3月にオリエンタルランドに入社したのは、加賀見社長からの誘いを受けて。「ベイヒルトンに5年ほどいたとき、舞浜地区やパークのこともよく見ていました。そのときから、オリエンタルランドがディズニーホテルをやったらすごいものが出来るだろうな、とは思っていたんです。日本にディズニーの世界観を根付かせたオリエンタルランドの会社としての力とディズニーのブランドとしての力、この二つを合わせたらここにほんとにふさわしいホテルが作れるんじゃないかと」

「キャラクタールーム」設置を主張

 オリエンタルランド入社以来、ベスフォードさんは、2000年オープンの「ディズニーアンバサダーホテル」をはじめ、すべてのディズニーホテルの開業に関わってきた。ディズニーキャラクターを内装に生かした「キャラクタールーム」は、今ではディズニーホテルの人気客室となっているが、「アンバサダー」計画段階では、設置には否定的な意見もあったという。「キャラクターはパークで出てくるもので、ホテルで出てくるものではない」という考えが強かったからだ。実際、海外のディズニーホテルにはキャラクタールームは少なかった。

 それに対し、ベスフォードさんは、「日本でお客様がキャラクターと接したときの喜びは強いものがある。せっかくのディズニーホテルなのだから、出来るだけディズニーを取り入れるべきだ」と主張。その結果、2部屋だけがキャラクタールームとなった。開業後、それが大人気となり、キャラクタールームが増えていった。「判断は間違えていなかったなと思いましたね」と振り返る。

 2018年6月から、ミリアルリゾートホテルズの社長を務めている。「六つの夢のあるホテルを、計画段階からオープン、そして経営までやらせてもらえるキャリアなんて、普通はないです。本当に声をかけてもらってよかったと感謝しています」と話す。

 今年7月には、ディズニーホテルの歩みや自らの体験、経営論などを記した初の著書「ホテルの力 チームが輝く魔法の経営」(講談社)を出版した。

 「自分が本を書くほどの人間とは思っていませんし、こうやってビジネスをやったらいいと言えるような立場とも思っていませんが、出版社だけでなく社内からも話がありまして…」と謙遜するが、「我が社のホテルの創業期にいなかったような社員やこれから社員になるような人に向けて、会社にプライドを持てるようなものを書き残しておきたかったというのはあります」と話す。

 ベスフォードさんが考える、ホテリエに向いているタイプはどんな人なのだろうか。「有名なホテリエの本の中に、『面接の時にスマイル出来ない人を絶対に雇わない』と書いてあるんですが、私も面接で緊張しすぎて笑顔が出来ない人は難しいと思いますね。それから、アルバイトでも何かしら接客業をしたことがある人は有利でしょう。その経験で喜びを感じた人ですね。それがないと、どんなに優秀でも仕事が楽しめないと思います」

クルーズ事業の準備責任者に

 著書の中でベスフォードさんは、ホテルの経営者や総支配人を「船長みたいな仕事」とたとえる。そしてその船とは「優雅な旅を楽しむ豪華客船」だ。

 実は、ベスフォードさんは、8月1日付でオリエンタルランドの執行役員にも就任すると同時に、ディズニーの世界観を再現した豪華客船によるクルーズ事業(2028年度運航開始予定)の準備責任者となった。

 「本を書いていたときは、クルーズ事業に自分が関わるとは思っていませんでした。完全に偶然なんです。クルーズにもホテルと似たようなところがあるので、これまでディズニーホテルで培ってきたおもてなしの姿勢を、クルーズ事業にも生かしていきたいですね」

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