1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

難病でシュートが届かなくなりラグビー転向した池崎大輔、求め続けた「金」に僚友と熱い抱擁

読売新聞 / 2024年9月3日 21時49分

車いすラグビーの表彰式で笑顔を見せる池崎大輔選手(2日、パリで)=古厩正樹撮影

 【パリ=波多江一郎】車いすラグビー決勝で米国に勝利し、この競技でパラリンピック初の金メダルを獲得した日本代表。主力の池崎大輔選手(46)は直近2大会で銅メダルに終わり、何度も悔し涙を流してきた。諦めずに自身をパリに駆り立てたのは、「金メダリストになって、車いすラグビーの魅力を伝えたい」との強い思いだった。

 「ラグビーなら日本代表を目指せる。人生変わるぞ」。30歳を間近に控えたある日、所属していた車いすバスケットボールのチームメートにそう言われ、車いすラグビーへの挑戦を決心した。思えば、あの日の決断が自分のパラスポーツ人生の転機となった。

 当時、幼い頃から患っていた難病「シャルコー・マリー・トゥース病」により、手足の筋力が衰え、シュートがリングまで届かなくなっていた。

 重度障害者がプレーする車いすラグビーでは、自分の障害の程度は比較的軽い。2009年に出身地・北海道のチームに入ると、スピードと力強さを兼ね備えた得点能力で頭角を現し、その年の日本選手権でチームを3位に導いた。翌年、日本代表に選ばれ、パラリンピックには12年ロンドン大会から出場。16年リオデジャネイロ大会と21年東京大会の銅メダルに貢献した。

 しかし2大会連続でメダルを取っても、車いすラグビーを巡る環境はさほど変わらなかった。試合や練習では、車いすの操作で急停止や急旋回し、体育館の床にタイヤ痕がつくことがある。練習後は専用の洗剤で清掃するが、「床が汚れて傷つく」と貸し出してくれない施設が少なくなかった。「環境を変えるには、結果を残すことが大事。世界一を目指すほかない」。金メダルへの強いこだわりが芽生えた。

 迎えたパリ大会。1次リーグを3戦全勝で通過し、準決勝では世界ランキング1位の豪州と対戦した。延長戦にもつれ込む激戦となったが、激しいタックルを決め、チーム最多の17トライを挙げて勝利に貢献した。決勝戦で優勝が決まった瞬間はベンチにいたが、次々に駆け寄ってくるチームメートたちと熱い抱擁を交わした。

 「この金メダルを持ってこそ、車いすラグビーやパラスポーツの素晴らしさを伝えていける」。表彰式で悲願の金メダルを首にかけてもらい、その重みをじっくりとかみしめた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください