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泣いてばかりいた赤ちゃんが馬に乗ると笑顔に…24歳の馬術選手、夢は「あと10回パラ出場」「初老ジャパンに」

読売新聞 / 2024年9月4日 5時27分

パリパラリンピックの馬術個人規定に出場した吉越奏詞(3日)=ロイター

 パリパラリンピックの馬術は3日、個人規定(障害2)が行われ、 吉越 (よしごえ) 奏詞 (そうし)(24)(岡本ライディングクJAPAN)は61・724で9位となり、上位8選手による自由演技(7日)に進むことはできなかった。結果は残せなかったが、このクラスで出場最年少の吉越は「あと10回はパラリンピックに出たい」と、大きな夢を描いている。(デジタル編集部 池田亮)

 馬と選手が一体となり演技を行う馬術。「規定」は、馬場のなかで決められた経路を進み、ゆったりとした「 常歩 (なみあし)」などの歩き方のリズム、停止したり後退したりといった運動を正確にできるかなどを競う。

演技後、笑顔はじける

 脳性まひの影響で、両足と右腕が不自由な吉越。東京大会に次いで2度目のパラリンピックは、去年の6月から競技を共にする栗毛の 牡馬 (ぼば)で10歳の「ジャビロ」と出場。緊張した表情で馬場に姿を見せると、手綱や足を使ってジャビロに指示を出し、課題をこなした。演技後、どの選手よりもはじけた笑顔を見せ、ジャビロの首筋を何度もさすった。ベルサイユ宮殿を望むスタンドからは、日本の若手に惜しみない拍手が送られ、吉越はガッツポーズで応えた。

 吉越の人生は、馬と共にある。そう言っても過言ではない。

 生まれてすぐ、脳性まひだとわかった。母・清美さん(55)はすぐに、筋を伸ばしたり、使えない手に刺激を与えたりするリハビリを始めた。だが、とにかく理学療法士などに体に触られるのが嫌で、全くうまくいかなかった。「病院に連れて行っても泣いてばかり……。結局何もできず帰ってくる。その繰り返しでした」。

2歳で一人で乗れるように

 ある日、都内にある兄が通っていた近所のポニー教室に連れて行った時。抱っこして乗せたら「きゃっきゃ」と声をあげて笑顔を見せた。「こんなに喜ぶのなら通わせてあげよう」。リハビリの一環で始めたポニー乗馬だったが、2歳になると一人で乗れるように。中学生までは毎日のようにポニーに乗り、馬の世話で泥だらけになって帰ってくるのが日常になった。

 中学生の時、東京大会の開催が決まると、家族に「俺、パラ馬術に出るから」と突然、宣言した。それまで大会には出場したことはなかったが、馬の操り方は身についている。言葉通り、国内の大会などで好成績を挙げ、出場権を獲得した。だが、コロナ禍で海外渡航できず、出場馬とほとんど練習できないまま本番を迎え、10位に終わった。

69歳の選手も

 一方で、ジャビロとはこの1年間、「信頼関係」を深めることができた。

 ジャビロの 厩舎 (きゅうしゃ)があるオランダに行くと、長い時で約2か月は生活をともにした。 厩務 (きゅうむ)員に世話を任せる騎手もいるが、吉越はまさにジャビロにつきっきり。全身を洗ったり、ひづめの手入れをしたり、えさやりから馬房の掃除まで、自分にできることは何でもやった。調子の良しあしも「顔つき、目を見たら分かる」ほどに。パリパラリンピックは自信を持って臨むことができた。

 この日の演技後、「このベルサイユに立てたことがすごくうれしい。点数は良くなかったが、東京大会よりはうまくできた」と振り返った。

 オリンピックの総合馬術団体では、30~40代の選手で構成した「初老ジャパン」が銅メダルを獲得。この日、同じクラスで4位に入ったハイデマリー・ドレジング(ドイツ)は69歳だ。馬術競技に年齢は関係ないと思っている。

 最後に「初老ジャパンと言われるまで、パラリンピックに出続けたいです」と語った吉越。「あと10回出場」を目標とする若手には、世界遺産「ベルサイユ宮殿」の庭に愛馬と立てたことも、馬術人生の1ページにしっかりと刻まれたに違いない。

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