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バスケットボールを剣に持ち替えて20年ぶりのパラ舞台…フェンシング安直樹選手が4日に初戦「メダル取る」

読売新聞 / 2024年9月4日 12時31分

パリ五輪男子エペ団体銀の古俣聖選手(左)と練習する安直樹選手(8月21日、東京都北区で)=日本パラフェンシング協会提供

 2004年アテネ大会の車いすバスケットボール代表だった やす直樹選手(46)が、車いすフェンシング代表として20年ぶりにパラリンピックの舞台に戻ってきた。ボールを剣に持ち替えたベテランは4日、男子フルーレ個人の初戦を迎える。

 茨城県ひたちなか市出身。中学生の時に股関節の難病を患い、手術を受けたが歩行障害になった。女の子にもてたい思春期真っ盛り。「車いすに乗る姿を同級生に見られたくない」と学校を休みがちになり、腹いせに自宅の壁を殴っては、拳大の穴を何個も開けた。

 見かねた母の勧めで高校1年で始めた車いすバスケが人生を変えた。プレーの激しさとかっこよさにのめり込み、強豪「千葉ホークス」に所属していた2003年、日本選手権で優勝し、最優秀選手(MVP)となり、一気にトップ選手にのし上がった。日本代表としてアテネ大会に出場。地元ギリシャとの試合では、フリースローを打つ際、ホームの大観衆から痛烈なブーイングを浴びた。「空気が揺れて、衝撃的だった」。観客がほとんどいない日本とは違うパラリンピックの熱気が心地よかった。

バスケ引退後にたどりついた新たな挑戦の場

 07年からは豪州やイタリアのプロチームで活躍。10年に帰国後、12年ロンドン大会の出場権獲得に貢献したものの大会直前に代表から落選した。この頃には酷使してきた肩や肘が悲鳴を上げ、若手の台頭もあり、14年にユニホームを脱いだ。

 しかし、前年に開催が決まった東京大会には、競技を替えてでも出たかった。何歳になっても、あの大観衆に強くてかっこいい自分を見せつけたい。だから、車いすテニス、バドミントン、ボート、アーチェリーと、あらゆる競技団体に連絡を取り、新たな挑戦の場を探した。そして選んだのは車いすフェンシング。「チャンバラみたいで楽しそう」がその理由だった。

 ただ、他競技への転向は甘くなかった。巧みな車いす操作で縦横無尽にコートで相手を 翻弄 ほんろうできたバスケとは違い、フェンシングは固定された車いすの上で戦う。2手先、3手先を読んだ駆け引きも必要で、初めて「脳が疲れた」と感じた。週20~30時間のトレーニングを自らに課した。

五輪メダリストが練習相手に

 多くの支えも受けた。パリ五輪男子エペ個人金の加納 虹輝 こうき選手(26)や、同団体銀の 古俣聖 こまたあきら選手(26)ら五輪代表が車いすに乗って練習相手を務めてくれ、相手の防御をこじ開ける技術を教わった。

 東京大会は出場できなかったが、古巣の車いすバスケ男子代表は初メダルとなる銀メダルを獲得した。「次は俺もやってやる」。闘争心に火が付き、昨年のアジアパラ大会のエペ個人で6位入賞。今年6月にパリ大会の日本代表に内定した。

 パリ大会では、個人・団体ともエペとフルーレの両種目に出場する。世界は強敵ぞろいだが、「やっぱりメダルは取りにいきたい」。久々の大舞台を前に歴戦の猛者は燃えていた。(波多江一郎)

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