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映画の登竜門PFFで新世代台頭の予感、犬童一心監督と10代女性監督が対談…未来は「有無言わせぬ作品」から

読売新聞 / 2024年9月5日 11時30分

「気分を変えて?」

 映画の新しい才能の発見と育成をテーマとする映画祭「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」(PFF)が9月7日から21日まで、東京・国立映画アーカイブで開催される。メインプログラム「PFFアワード」は、映画の未来を担う監督の登竜門として知られる自主映画コンペティション。今年入選した19作品のうち3作品は最年少14歳を含む18歳以下の監督によるもので、監督たちの平均年齢も昨年の26.1歳から23.1歳に若返るなど、新世代の台頭を予感させる状況が生まれている。若い監督はなぜ映画を作るのか。才能を大きく開花させるために必要なことは何か。10代で映画を撮り始め、高校生の時に撮った作品で入選、という共通項を持つ、2024年の入選監督・八代夏歌さんと1979年の入選監督・犬童一心さんの対談をお届けする。(編集委員 恩田泰子)

PFFのテーマは新しい才能の発掘と育成

 1977年にスタートしたPFFは、映画を志す人や映画ファンは見逃せない充実したプログラムを組んでいる。

 今年は、生誕100年を迎えた増村保造の特集「生誕100年・増村保造新発見!~決断する女たち~」や、かつて若き自主映画監督たちが競って撮った8ミリフィルム映画の傑作選「自由だぜ!80~90年代自主映画」などが予定されている。が、主軸はやはりPFFアワードだ。今年は、18歳以下限定で、同アワード入選作品上映への招待企画(事前申込制/各回先着10組20名)も行う(※注1)。

 同アワード入選を経て、プロの映画監督になった人は180人超。石井岳龍、黒沢清、塚本晋也、佐藤信介、李相日、荻上直子、石井裕也、早川千絵、山中瑶子など、第一線で活躍する監督も多い。犬童さんもその一人だ。

 ※注1=「PFFアワード2024」のプログラム詳細はホームページ(https://pff.jp/46th/award/competition.html)、招待企画応募はPFF公式noteの応募フォーム(https://note.com/piafilmfestival/n/n1de302b7e215)から。

年の離れた映画の「同志」

 犬童さんは、高校時代の78年に撮った8ミリ初作品「気分を変えて?」(30分、今回のPFFの「自由だぜ!80~90年代自主映画」でも上映)でPFF入選。大学時代も自主映画の世界で活躍し、卒業後、テレビCMの企画・演出の仕事で高い評価を集める一方で、自主制作した映画「二人が喋ってる。」(95年)で日本映画監督協会新人賞などを受賞。「金髪の草原」(99年)で商業映画監督デビューし、国内外で愛され続ける「ジョゼと虎と魚たち」(2003年)など多彩な映画を作り続けている。

 対談相手の八代さんは愛知県在住。今年のPFF入選作「サンライズ」(24分、応募時は18歳・高校生)を完成後、高校を卒業し、現在はアルバイトをしながら映画制作を続けている。

 ふたりのPFF入選作には共通項がある。それは「自分ごと」に 真摯 (しんし)に向き合っているということ。自分の考え、生きている世界の姿をそれぞれのやり方で映画に刻み付けていること。犬童さんは、映画の「同志」として八代さんに語りかけ、重要なのは「作る」のを続けることだと話す。では、どうすれば、それを続けていけるのか。2人の対話は、映画づくりをめざす人はもちろん、好きなことを続けていくための道をさがしている人にとっての示唆に富むものになっていった。

「サンライズ」は決意表明

犬童 八代さんは、今も高校在学中ですか。
八代 卒業して、今はフリーターです。働きながら映画を撮っている感じです。
犬童 新しいのを撮っているんですか。ジャンルで言うとどんなものを?
八代 7月に撮り終えて、編集中です。ジャンルは恋愛映画に入ると思うんですけれど、ごてごての恋愛映画ではないです。
犬童 今度も自分が主役をやっているの? 撮影は?
八代 自分は一切出ていません。今、自主映画の団体に入っていて、そちらの方にご協力いただきました。あとは友人、それからSNSで募集して、応募していただいた方で撮った感じです。カメラは私がやりました。ニコンの一眼レフを使っています。
犬童 今回最年少14歳の監督とも話をしたのだけれど、彼女はiPhoneで撮っていて、編集も全部iPhone。小学校4年の時からiPhoneで編集していて、そっちのほうが早くて慣れている。17分の映画で、ばりばりのストーリーテリングの映画になっている。しかも、うまい。
八代 すごいですね。
犬童 八代さんの「サンライズ」のほうが、僕からすると、「なじんでる映画」。どういうことかというと、僕の最初の映画(「気分を変えて?」)もそうなんだけど、作ってることが自分ごとなんだよね。その時の自分のことを何とか映画にとどめようとしている、その姿勢がなじみ深いわけ。
八代 自分ごと。そうですね。
犬童 「サンライズ」は何本目の映画なんですか。
八代 3本目です。今の自分の考えを残したいという気持ちがあって、いずれも、その時、自分が考えたことを題材にして撮っています。
犬童 自分にとってのテーマが生まれたら、それを映画にしようと思って作るんですか。
八代 作る時は、一番初めに撮りたいシーンが浮かんで、そのシーンを撮るために物語を練っていく感じです。「サンライズ」は、最初は、何か面白いものを作りたいな、ということだけが頭にありました。受験の時期だった関係で、出演者があまり集められなくて、それで自分を中心に撮っていくことになりました。
犬童 今回の映画で一番撮りたい映像は何だったのですか。
八代 途中でコーヒーが出てくるんですけれど、面白いことをやりたいな、という要素としてそれがありました。
犬童 それが今回みたいな話になっていったのは、どういうところから?
八代 今後、映画を作っていこうっていう、その決意表明になる映画を作りたいということがありました。「見ていただいたら私についてわかります」という映画を作ろうと意識はしました。

「気分を変えて?」のエネルギー

 ――犬童さんが78年に撮ったPFF入選作「気分を変えて?」もまた、映画を作る若者をめぐる映画。キャンディーズ解散、17歳の少年が18歳になるということ、そして映画を作ること……。変化の予感、若者の熱いエネルギーが時代の空気とともにほとばしる。

八代 (「気分を変えて?」は)今の高校生の自主映画では、撮るのが難しいような題材だと思いました。性とか暴力といったことが何か前面に出ていて。
犬童 それは高校生だと撮るのが難しいってこと?
八代 自分が勝手に難しいと思っているだけかもしれませんが、たとえば血の描写とか、そういう作品とは、自分が高校の時に出していた映画祭では出会わなかったので。
犬童 すごく簡単に話せば、70年代は、セックスと暴力が入ってない映画って何?っていう感じがあった。僕にとっては、その要素を踏まえてるものが映画だった。
八代 違いを感じました。
犬童 ただ、単にストーリーテリングがしたいんだったら、それはちゃんとしたカメラに向いてること。8ミリカメラで一体何ができるのかということが僕にはものすごく重要だった。
 自分の中で、カメラというものは、一つの武器みたいなもの。ものすごく精巧で強力な武器があれば、それに合った作戦を実行することができるんだけれど、8ミリカメラはものすごく不完全なカメラ。この小さいカメラはもっと自分に近いものとしてあって、それでできることをちゃんと正直にやるんだみたいな気持ちだった。自分の17歳のときの時代を、カメラで記録しようと思って映画を作ってたので。
 「サンライズ」もそういうところがあるよね。強く意識していたかどうかわからないけれど、やっぱり2023年、24年の日本とか、その時代を映そうっていう心構えがある映画だよね。
八代 「気分を変えて?」の中で、(17歳だとまだ少年だという感じもするが)18歳になると違う、といったセリフが出ていたじゃないですか。今、成人年齢は18歳ですが、当時は20歳ですよね。なぜ18歳だったのですか。
犬童 僕の中で14歳と17歳はすごく重要な年齢だった。何か新しい時代が14歳から始まり、17歳で何か1回終わるという気持ちになっていた。そういうふうに自分の中で年齢が設定されていた。それは、映画や小説の影響かもしれないし、感覚かもしれない。

「台風クラブ」の影響

犬童 八代さんは、いつくらいから、映画を見るのが好きになったのですか。
八代 父が家でよく見ていたので、それを一緒に見ていました。中学2年生くらいの時に初めて、特別に好きだと思う映画ができました。「台風クラブ」という映画です。
犬童 相米(慎二)さんの「台風クラブ」だね。それを超えてくるような映画体験は、その後、あったの?
八代 なかったんですけれど、アメリカのミュージカルの「ヘアスプレー」を見た時は、それと同じくらいの、「おおっ」という衝撃がありました。その後、岩井俊二監督にもひかれました。
犬童 自分が作りたいというきっかけはどこで生まれましたか。
八代 もともと小説とかマンガを書いていて、物語を作って作品にするのが好きだったので、「台風クラブ」に影響されて、「あ、映画もやってみたいな」と思ったことが大きなきっかけ。14歳って、受験とか、考えなきゃいけないことがあって、その時期に見たことが結構大きかったと思います。
犬童 14歳は特別な年齢だからね。僕も、最初に映画撮ろうと思ったのは14歳だった。その頃は8ミリカメラなんだけど、それが周りになくて撮れなくて、高校に入ったら撮るって決めてた。
 小説とマンガと映画って、ちょっと違う部分があると思う。映画ってさ、カメラがあるじゃない?。
八代 はい
犬童 カメラって基本は記録するためのものなので、だから、どんな絵空事を撮っても記録になるというか。八代さんは、その時に思っていることを映画に残したいというテーマが明確にあるから、映画に記録という側面があるということが、すごく向いていたんじゃないかな。相米さんの「台風クラブ」も、出ているティーンエイジャーの人たちを記録している側面がすごく強いよね。

「望まれていない映画」を作ることの大切さ

犬童 八代さんは、映画監督になりたいって、映画の中で言っていたよね。
八代 はい、言っていました。映画監督になりたいです。
犬童 でも、映画を作ることと、映画監督になるというのは、ちょっと違うと思うんだ。僕は映画監督になりたいと思っていなかった。映画が作りたかっただけ。17歳の時に「気分を変えて?」という映画を作ったけど、高校生の男の子が8ミリで映画を作ったことと、映画監督になるっていうことが、当時はどう考えてもまったく関係ないことだった。今はそのころと違って、PFFに入選してスカラシップ作品(※注2)とか撮って監督になる人もいるけれど。

八代 はい。
犬童 映画を作るのは映画を撮りたいから、ということで完結しているのね。映画監督になりたいっていうのは、どこからそうなるのかな。
八代 そうですね。なんか、ちょっと別の話になってしまうかもしれないんですけど、今、高校を卒業して働いていて、映画と全然関係ない仕事でアルバイトなんですけど、別に監督にならなくても作りたいものがあるときに作りたいように作らればいいんじゃないかっていうふうに、考えたりはしました。ただ、映画を作るなら映画監督になるっていうのが、「サンライズ」を作った時の私の中にはあったのかなと思います。
犬童 重要なのは、作りたい作品があるときに、作るかどうかだけなんだよね。作りたいと思っても作らないまま終わる人たちが、僕の周りにごまんといた。作りたいと思ったときに面倒くさいけどやるかどうかっていうのは、すごく違う。誰にも頼まれてない、望まれていない映画を。「サンライズ」は課題で作ってるわけじゃないでしょう?
八代 課題じゃないです。
犬童 誰にも望まれてない映画を作るのってめちゃくちゃ面倒くさい。全部自分で用意して映画作るくらい面倒くさいことはない。これは、望まれて映画を作るようになるとすごくよくわかる。作る時点で、公開まで決まっているし、お金もある、だからとても楽。でも、面倒くさいことをやるかどうかが、その後に影響はする。

 ※注2=PFFスカラシップは、PFFによる長編映画製作支援システム。長編アワード入賞者から選ばれるPFFスカラシップ権利獲得者の志向に添った作品の企画開発から公開までをPFFがトータルでプロデュースする。最新作は「道行き」(中尾広道監督)で、今年のPFFで世界初上映される。

働きながら、撮る

 ――犬童監督は、大学を卒業した後、広告業界に就職したが、映画を作ることはやめなかった。

犬童 何かこの後に、映画業界に入ろうみたいな気持ちはあるんですか。
八代 そこはちょっと悩んでいるところです。自分は監督として自分の脚本で作品を仕上げたいという思いでずっと高校のとき、やっていて。映画監督を職業にするには時間がかかるのはわかっているので、それだったら自分の撮りたい作品を、完全に自主制作としてやっていくのがいいのかなって。
犬童 映画業界に入った方が映画を撮るのが難しくなるっていう話?
八代 映画業界に入れば、他の方の助監督とかをやることになるのではないかと思いますが、そこをやる期間に自分の作品を撮りたい。ただのわがままなんですけど、私の。融通が利くのかどうか……。
犬童 僕は、定年まで会社員だったの。普通の会社に入って、会社員をやりながら、撮りたくなったら、自分で自主映画を撮って、そのうち、実際の映画業界で映画を撮るようになった。そうすると、演出部の助監督の人がいっぱい参加してくれるようになるのね。
八代 はい。
犬童 この助監督の人たちは、作品に参加しないときは空いている。1年365日、助監督をやってる人はいない。例えば、岩井さんの作品の助監督をやった後に、僕の映画の助監督をやるとして、間が空いているわけじゃない? そこで何かしようと思ったらできる。普通の仕事だとそういうふうには間が空かない。
 今は、演出助手をやりながら、助成金とかを使って映画を撮っている人も増えた。だから、そういうやり方もないことはない。
八代 そうなんですね。
犬童 インディーズの映画を見てくれるお客さんも最近はいる。監督やプロデューサーも、自分がやっている作品の助監督が、休みの間に作品を作って、「すみません、これ見てもらえませんか」と言ってきたら、見ない人はいない。もっと言ったら、そこから可能性が開けるということがないわけじゃないよね。仕事をしながら映画を作る時に、そういう考え方もあるよ……というのを一応言っておこうかな、と思った。
八代 ありがとうございます。そういうことは、ネットにも書いてないし、実際の声を聞いたこともありませんでした。
犬童 僕は高校のときにPFFに入選して、大学で自主映画を作っていた。僕が作った自主映画は、すごく有名だったけれど、その後入った広告業界の上のほうの世代の人たちは気にもかけなかった。でも、少し上から同世代の人たちは、全員僕のことを知っていた。広告代理店もプロダクションもみんな8ミリ映画を作っていた人だらけだったから。だから、その後CMディレクターになるのがすごくスムーズだった。インディーズで映画作っているときに良い作品を作ったっていうことを既にちゃんと評価してくれているから。やっぱり、自分で何か作品を作りたくなったら作っていい作品を作ることができれば、その先に映画を撮ることが仕事になるっていうのは普通にある。
八代 はい。
犬童 面倒くさいけど、やるかどうかだけ。でも、八代さんは少なくとも仕事始めてから1本作ったわけじゃない? あとは、「望まれていない映画」をいつまで作る気力があるかどうかみたいなことになってくる。

すごい作品を作った時点で、その人はすごい人

八代 助監督とかって募集してるものなんですか。
犬童 僕は助監督をやったことがないの。ずっと会社員で、普通にCMの仕事をやって、それで、映画を作っていたから。でも、全体として言うと、ものすごく人材不足。だから、入ろうと思ったら入る隙間はいっぱいあると思う。
八代 そうなんですね。
犬童 そう。だから、PFFに入選して、それをきっかけに映画の世界の人と知り合いになることから始まるということもあるよね。やってみないと、向いているかどうかはわからないけれど。
八代 はい。
犬童 助監督の一番下で働いていたとしても、すごくいい自主映画を作ったとするじゃない? そうすると、もうその時点で、この人はそういう映画を作る人だということになるよ。僕は新人のシナリオライターとものすごく付き合ってきた。渡辺あやさんとか、今有名になってるシナリオライターもいっぱいいるんだけど、最初は誰もその人を知らない。そういう新人と何で組むかといったら、その人が書いたシナリオを読んでいるから。年齢とか経験じゃなくて、すごいものを書いている時点でこれはすごい人だとはっきりしているから。
 昔はそういうすごい才能の人であっても、新人というだけで雑に扱う人はいたんだけど、そういう変なおじさんたちはすごく減ってきたから大丈夫。ものすごくいい短編とか撮ったら、この人はすごくいい作品を撮る人なんだということになるから。作品を持っているということは、すごく重要。だから、すごくいい映画を作ってください。
八代 いい映画を作る、そこから頑張ります。
犬童 有無を言わせないような映画を作れば絶対大丈夫。難しいけれど。

◇「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」
【東京】9月7日(土)~21日(土) 会場:国立映画アーカイブ ※月曜休館
【京都】11月9日(土)~17日(日)会場:京都文化博物館 ※月曜休館
【公式サイト】https://pff.jp/46th/

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