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円盤投げ・新保大和に贈られた亡き恩師の言葉、日本記録「全部塗り替えられるんとちゃうか」…パラ決勝の舞台へ

読売新聞 / 2024年9月6日 15時5分

新保選手の中学時代の恩師、松元さん(関係者提供)

 脳性まひで生まれつき左半身が不自由な陸上男子円盤投げの新保大和選手(24)が6日、パリパラリンピックの決勝に臨む。中学時代に投てき競技を勧めてくれた亡き恩師の言葉を胸に活躍を誓う。(阪神支局 加藤あかね)

左半身「ちょっと使いづらいだけや」

 兵庫県西宮市出身。市立深津中時代、陸上部顧問だった松元勝さんに誘われて投てき競技を始めた。松元さんは「新保は左半身がちょっと使いづらいだけや」と気遣ってくれ、新保選手は他の部員と分け隔てなく同じ練習をこなし、力をつけていった。

 卒業を間近に控えた頃、パラ競技の投てき種目の日本記録一覧を見た松元さんに「新保なら全部塗り替えられるんとちゃうか。絶対にパラリンピックに出場できる」と言われた。その気になり、高校に進学するとパラ競技に打ち込んだ。

 松元さんは「日本代表になって、ジャパンのユニホームを俺に着せてくれ」と励ましてくれた。しかし、2017年3月、がんに侵され49歳で帰らぬ人に。新保選手はその年の8月、スイスで開催された世界パラ陸上ジュニア選手権に日本代表として出場し、円盤投げと砲丸投げで優勝。一気に才能を開花させた。

 目標としていた21年の東京大会に出場できず、「もういいかな」と心が折れかけた時期もあった。しかし恩師の言葉を思い返しては地道な努力を続け、今年5月に神戸市で開かれた世界パラ陸上で銅メダルを獲得。パリ切符を手にした。

思い出す恩師の姿

 「一念通天~やってやれないことはない~」。7月に母校の深津中で開かれた壮行会では、後輩たちから、松元さんが考えた陸上部のスローガンが書かれた日の丸を託された。部室には松元さんが愛用していた黄色いメガホンが残っていた。「ちゃんと走れ!」「サボるな!」。練習で声をからしていた恩師の姿が浮かんだ。

 新保選手は「厳しかったけど、先生のおかげでずっと楽しく陸上を続けられた」と感謝する。松元さんの妻・美恵さん(57)は「(新保選手が)銅メダルを取った世界パラ陸上は風が強かった。(夫は)きっと風になってパリにも行っている」と話す。

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