1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

国枝慎吾さんに憧れた凱人少年、メダリストから英才教育…18歳で「常識」も変えパラ制覇

読売新聞 / 2024年9月8日 8時12分

 車いすテニス男子でパラリンピック史上最年少優勝。数々の最年少記録を塗り替えてきた小田 凱人 ときと選手(18)が7日、パリ大会のシングルスを制覇した。子どもの頃に憧れた元車いすテニス選手、国枝慎吾さん(40)のように「病気と闘う子どもたちのヒーロー」になった。(松本慎平、大場暁登)

 決勝は、序盤でライバルのアルフィー・ヒューエット選手(26)(英国)がメディカルタイムアウトを取る予想外の展開。第1セットはやや精彩を欠いたヒューエット選手を押し切ったが、第2セットは熱戦の末に奪われ、ファイナルセットは相手マッチポイントをしのぎ、逆転勝ちした。

 小田選手は、愛知県一宮市出身。9歳だった小学3年生の時に骨のがん「骨肉腫」を発症した。左 大腿 だいたい骨の一部を切除し、自分の脚で走れなくなった。

 この頃、入院先で国枝さんが優勝した2012年ロンドン大会決勝戦の動画を何度も見た。軽やかに車いすを操り、鋭いショットを決める姿が格好良くて「自分も世界一に」と誓った。

 退院後、10歳から車いすテニスに取り組み、21年東京大会銅メダリスト、諸石光照さん(57)の指導を受けた。当時の小田選手からは「うまくなりたい」という姿勢がにじみ出ていて、諸石さんは「できないことがあれば悔しがり、次の練習までにできるようにしてくる『負けず嫌いの頑張り屋』だった」と振り返る。世界で戦う選手になると信じ、あいさつの仕方など人前での振る舞い方も教えた。

 中学生になると、競技団体の次世代強化指定選手として海外遠征を経験した。大会中止が相次いだコロナ禍の頃は、サーブなどの基本技術を反復練習で強化。ベースラインより前で攻撃的ショットを繰り出す独自のスタイルを模索し、「後ろに下がって打つ」という車いすテニスの「常識」を変えた。

 東京大会は出場を逃したが順調に世界ランクを上げ、22年4月には15歳でプロ転向を宣言した。

 23年1月、国枝さんから引退を打ち明ける電話を受け、「これからの車いすテニス界は凱人が引っ張っていってくれ」と託されると、同年6月の全仏オープンで優勝。四大大会制覇と世界ランク1位を史上最年少の17歳1か月で達成した。

 初のパラリンピックには「五輪と比べて試合を見る人は少ない。それを変えるために僕は病気になった」と言うほど強い覚悟で臨んだ。決勝は2時間半を超える熱戦を耐え、「車いすテニスで世界一に」という小学生の時の夢をかなえた。

ジュニア選手「攻撃スタイル貫いて」

 日本では、小田選手に憧れるジュニア選手や知人が活躍に期待を寄せた。

 先天性の病気で車いす生活を送り、5歳からテニスを始めた松山市の中学2年、橋本旬平君(13)は、小田選手のファンで大会の応援にも駆けつける。「ミスしても前に出る小田選手らしい攻撃スタイルで金メダルを取ってほしい」と願う。

 昨夏、岐阜市で開かれたイベントでは、車いすを動かす「チェアワーク」で瞬発力を高めるコツを直接教わり、以来、小田選手のように「攻めていくスタイル」を意識している。「まずはジュニアの全国大会で優勝し、いつかパラリンピックに出たい」と、「気さくで優しかった」小田選手の背中を追う。

 「恩師」の諸石さんは「金メダルを取れば『パラスポーツを僕が盛り上げていく』と語っていた彼の夢はおのずと実現されるはず。大舞台を楽しんできてほしい」とエールを送る。

 出身地・愛知県一宮市の市役所ではパブリックビューイングも行われ、地元住民ら約200人が駆けつけた。小田選手と小中学校時代の同級生で高校3年の渡辺 たいしさん(18)は「金メダルをとって一宮に帰ってきてほしい」と声を弾ませた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください