被爆認定15人どまり、憤る原告「みんなが被爆者のはず」「死ぬまで戦う」…長崎「体験者」訴訟
読売新聞 / 2024年9月10日 7時28分
長崎原爆に遭いながら、救済の枠組みで被爆者との格差が生じていた「被爆体験者」が起こした訴訟で、9日の長崎地裁判決は、一部を「被爆者」とする判断を示した。しかし、被爆者と認められたのは、原告44人のうち15人にとどまり、原告からは憤りの声が上がった。
「やっと、やっと被爆者と認められた。本当に長かった」。この日の判決で被爆者と判断された長崎市松原町の松田宗伍さん(90)は、静かに喜びをかみしめた。
11歳の時、爆心地から9・7キロの旧古賀村(現長崎市)で原爆に遭った。空から黒い灰が広範囲に降り注ぎ、畑の野菜や地域の水くみ場に積もった。それでも空腹を満たそうと、灰を払いのけて口にした。
やがて歯茎が腫れて出血するようになり、約15年前には前立腺がんを患った。
判決では、旧古賀村、旧矢上村、旧戸石村で放射性物質を含む「黒い雨」が降った蓋然性があるとされ、この地域に住んでいた原告は、被爆者援護法に基づく被爆者と認められた。松田さん自身に雨の記憶はないが、妻のムツエさん(86)とともに被爆者と判断された。
だが、今回の判決では広い地域で観測された灰などは「放射性降下物」とされず、原告のうち29人は救済されなかった。松田さんは「雨と灰で何が違うのか。放射線の影響はどっちにもあったはず。原告のみんなが被爆者のはずだ」と訴えた。
判決後に長崎市で開かれた報告集会は、重苦しい雰囲気に包まれた。
原告団長の岩永千代子さん(88)(長崎市)は一部勝訴の判決に「ホッとしている」と述べる一方で、自身を含め3分の2の原告の訴えが退けられたことに「判決には納得いかない。不合理で差別そのものだ」と述べ、「ひるまず、死ぬまで闘おうと思う」と控訴の意思を示した。
判決を受け、長崎市の鈴木史朗市長は「市は被告であるものの、被爆体験者の気持ちに寄り添いながら、救済を図るよう国に求めてきた。被爆体験者の皆さまが望んだ判決とは異なり、非常に複雑だ」と話した。
原告らは10日、長崎県や長崎市の担当者と面会し、今後の方針などを聞き取る予定。
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