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フジモリ元ペルー大統領が死去…経済立て直しやインフラ整備に手腕、テロ対策など強権的手法に反発も

読売新聞 / 2024年9月12日 11時35分

リマの日本大使公邸占拠事件で、軍関係者に配置について指示するフジモリ大統領(当時)(1997年4月)

 【リオデジャネイロ=大月美佳】日系人として初めて南米ペルーの大統領を務めたアルベルト・フジモリ氏が11日、死去した。86歳だった。長女のケイコ氏(49)がX(旧ツイッター)で明らかにした。晩年は体調を崩し、入退院を繰り返していた。

 両親が熊本県出身の日系2世。ペルー国立農科大を卒業した後、フランスと米国への留学や同大学長などを経て1990年の大統領選に出馬し、初当選した。

 任期中、インフレ(物価上昇)を抑えて経済を立て直し、学校や道路、厚生施設など社会資本を整備した。テロ対策にも力を入れ、1996~97年の日本大使公邸人質事件では、左翼ゲリラのトゥパク・アマル革命運動(MRTA)に拘束された人質約70人を軍特殊部隊の突入作戦で解放した。

 一方、憲法停止や議会閉鎖など強権的な政治手法は反発を呼んだ。3期目の2000年9月には側近による野党議員の買収工作が発覚し、滞在先の日本からペルーの国会に辞表を送付したが、受理されずに 罷免 ひめんされた。

 日本で事実上の亡命生活を送った後、チリでの軟禁を経て、07年にペルーで収監された。チリ軟禁中に日本の参院選に出馬したこともペルー国内で波紋を広げた。

 10年1月、大統領在任中の人権侵害事件を巡り、禁錮25年が確定した。17年には恩赦が認められたが、再収監され、23年12月に憲法裁の即時釈放命令で再び自由の身となっていた。

 ケイコ氏は「人民勢力党」の党首を務め、11年以降、大統領選に3回出馬した。いずれも落選したが、フジモリ氏は晩年もペルー政界に対する一定の影響力を保った。

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