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誇りを胸に現役貫く102歳、東京・墨田区「石井サイクル」店主は自転車修理90年…仕事後には焼酎割り1杯

読売新聞 / 2024年9月17日 14時9分

102歳になっても現役で自転車修理を行っている石井さん。腰にはコルセットを巻いている(8月下旬、東京都墨田区で)=今利幸撮影

 「人生100年時代」と言われる中、生きがいを持って暮らすお年寄りが増えている。東京都墨田区で自転車修理店を営む石井誠一さん(102)が、その道に入ったのは13歳の時だった。「人の命を預かる仕事」への誇りを胸に、今も店に立ち続けている。(野口恵里花)

◆一人で店を守り抜く

 最寄りの「鐘ヶ淵駅」から5分ほど歩くと、住宅街の中に「石井サイクル」の看板が見えてくる。店内の壁には、タイヤやホイール、サドルといった部品が並ぶ。

 「自転車屋は、客から言われなくても、自分で修理すべき箇所に気付かないとダメなんだ」。つなぎ姿でイスに座った石井さんは、太い指で車輪をつかみながら声を張った。

 寄せられる依頼は週に数件だが、手は抜かない。最近も、パンクの修理を頼まれた自転車の鍵の不調を見つけ、サービスで直して驚かれた。「仕事があれば機嫌がいい。自転車をいじっている時が一番楽しい」

 木造2階建ての自宅の1階に構えた店は、日曜日と正月の三が日以外、午前7時から午後6時頃まで開けている。大きな病気はしたことがない。たった一人で店を守り抜いている。

◆日常が喜び

 東京・神田に3人兄弟の長男として生まれた。幼い頃から、自転車の修理の様子を見るのが好きだった。タイヤ、ブレーキ、ペダルといった様々な部品の修理工程を飽きずに眺めた。

 勉強はあまり好きではなかった。「手に職をつけよう」。高等小学校を中退して自転車修理の道に飛び込んだ。住み込みで修業を始めたのは1935年、13歳の時だった。

 見よう見まねで仕事を覚えた2年後、日中戦争が始まる。20歳だった43年に徴兵されて中国に出征。山腹に潜み、敵軍の補給路を断つ任務を与えられた。

 暗闇の中で敵の銃口が突然火を噴き、戦闘になることもしばしば。「何度も死ぬと思った」と振り返る。敵に包囲された友人は手投げ弾で自爆した。「あんな嫌な経験はないよ」

 終戦から間もなく捕虜となり、日本に戻ったのは46年6月。再び自転車店で働き始めた。たまたま見つけた物件を購入した56年、今の場所に店を開いた。

 時代は高度経済成長期。周囲に店や民家が増え、朝から晩まで手を休める暇はなかった。パンクだけではない。フレームのゆがみ、サドル交換、さび取り……。どんな要望にも応じた。

 他の店で対応できずに持ち込まれた故障を直し、お客さんが喜ぶ。自転車を渡した時に「ありがとう」と言われ、世間話をする。そんな日常が幸せだった。

◆命を預かる責任

 26歳で結婚した妻の千恵子さんとの間には、2人の子どもができた。孫とひ孫は計8人。百寿のお祝いをしてもらったが、「多すぎて、誰が誰だか分からなかった」と笑う。

 妻は33年前に亡くなり、今は一人で暮らす。仕事を終え、ビール風味の炭酸飲料水で割った焼酎を1杯飲むのが日課。趣味はカラオケで、日曜はテレビで「NHKのど自慢」を見た後、自転車でスナックに向かう。酒は口にせず、常連客と北島三郎や三波春夫を中心に熱唱する。

 先月、帰宅する際に自転車で転倒し、救急車で運ばれた。幸い右腕の軽傷ですみ、翌日には店に出た。近くに住む長男の俊男さん(75)は「好きなことをして生活を楽しんでくれるのはうれしいけど、ちょっと心配」と話す。

 100歳を過ぎても、店を畳もうと思ったことはない。「働けて幸せ。天職なんだ」。自転車を引き渡す前には再度、修理した箇所を念入りに確認している。

 「ブレーキが利かなければ事故になり、人命にかかわる。ネジを締め忘れるようなことがあれば、仕事はやめる」。シャッターを開け、今日もいつもの一日が始まる。

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