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名人芸のバント、壁際の魔術師…ジャイアンツの栄光支えたいぶし銀の職人たち

読売新聞 / 2024年10月5日 9時0分

世界新記録となる通算512個目の犠打を決める川相(2003年8月20日、東京ドームで)

 エースや4番打者だけでは栄冠を勝ち取れない。バント職人や救援投手は自己犠牲を続けて勝利をたぐり寄せ、守備の名手や代打の切り札は一つのプレーで流れを大きく変えてきた。巧みな技や献身的な姿勢で、巨人の歴史を紡いだいぶし銀の職人たちを紹介する。(敬称略)

体にしみこませた技・通算533犠打…川相昌弘

 世界記録の通算533犠打を誇る川相昌弘(59)の転機は、プロ7年目に訪れた。

 1989年、藤田元司監督が就任した。6年ぶり2度目の采配を振ることになった藤田監督が掲げたのは、投手中心の守りの野球だった。川相は2年目から一軍に抜てきされて以降、外野も守り、両打ちにも挑戦したが、定位置獲得には至らなかった。「もう一度、得意の守りを見直して勝負しよう。打てなくてもいい。バントやチーム打撃を徹底する」。腹をくくって臨んだシーズンで、ライバルとの競争を勝ち抜いて「2番遊撃」に定着。出場98試合、32犠打はいずれも、それまでの自己最多記録となった。

 目指すべき道が定まってからは、ひたすら技を極めるのみ。打撃マシンでも「一番難しい」という内角高めの速い球を一塁線でも三塁線でも転がせるよう心がけた。「球の勢いを殺せるのはバットの芯の少し上」「芯に当たっても、野手が捕球、送球しにくいコースに転がせば走者を進められる」――。自分なりの成功の法則を見つけ、練習と試合での実践を繰り返し、体にしみこませてきた。

2000年日本シリーズ・最高の1本

 技術を凝縮させた犠打がある。2000年10月27日、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズ第5戦。八回無死一、二塁で、5番マルティネスの代打として打席に入った。「ピンチバンター」であることは自明の打席で、投手は初対戦の斉藤和巳だ。

 その初球。相手一塁手は猛然と前進し、二塁手が一塁の、遊撃手が二塁のベースカバーに入る。ここで、投手も捕れない絶妙な強さのゴロを三塁線へ転がした。三塁手が前へ出て処理せざるを得ず、二塁走者の清原和博はがら空きの三塁へ悠々と進塁。一塁走者の松井秀喜も二塁に進んだ。1球で仕留めたバントは攻撃のリズムを呼ぶ。高橋由伸のだめ押し2点打につながり、日本一に王手をかけた。試合後、長嶋茂雄監督は「川相のバントは他の選手じゃできない」と絶賛した。

 この年は故障で出遅れ、前年に入団した二岡智宏の活躍もあって出場機会が減っていた。日本シリーズを前に「自分の仕事はバントか守備固め」と考え、ダイエーのバントシフトを事前に分析するなど準備を怠らなかった。「自分にとってはあのバントだけの日本シリーズ」と振り返るように、自身の存在意義を懸けて成功させた1本だ。

 「何を求められ、何をやればこの世界で生き残っていけるのか。それを徹底できるかがプロの世界では大事。自分の場合はバントと守備。徹底したから生き残れたし、記録も作れた」と述懐する。座右の銘は「一念天に通ず」。バント職人の野球人生を表す言葉だ。

かわい・まさひろ 岡山南高からドラフト4位で1983年に入団。2004年に中日に移籍。06年まで通算1909試合、1199安打、43本塁打、322打点、打率2割6分6厘。遊撃手としてゴールデン・グラブ賞6度。

リリーフで獅子奮迅「試合に出てナンボ」…鹿取義隆

 19年間の現役生活で、鹿取義隆(67)は一度だけ投手以外のポジションに就いたことがある。1987年4月28日、ナゴヤ球場での中日戦。七回から登板して2回無失点で迎えた九回。王貞治監督が交代を告げた。「ピッチャー角、ライト鹿取」

 先頭の左打者ゲーリーに左横手投げの角三男をワンポイントで投入し、再び鹿取にスイッチする作戦はすなわち、指揮官の強い信頼感の表れだ。突然の事態に「飛んでくるなよ」と念じながら、背後に陣取る竜党のヤジにも耐えた。2球で角が左飛に打ち取ると、走ってマウンドに戻り、落合博満、宇野勝を抑えて試合を締めた。

 この起用が象徴するように、87年は獅子奮迅の活躍を見せた。結果的にシーズン自己最多となった63試合に登板し、18セーブ、防御率1・90の好成績で優勝に貢献した。連日、マウンドに登る救援投手に対し、酷使を意味する「カトられる」という造語が流行するほど。ただ当の本人は「試合に出てナンボ」。任されることを意気に感じて「今年で終わってもいい」とすら思っていたという。

 右横手投げの中継ぎ投手として、1年目の1979年から一軍で投げ続けた。江川卓、西本聖、定岡正二ら同世代がしのぎを削っていた時代。緊急登板やロングリリーフ、抑えまで多様な役割をこなすことで、自分の立場を築いていった。

四死球と一発、絶対に避ける

 どの場面でも「四球、死球、本塁打。野手が防げないこの三つは絶対避けないといけない」と考えていたから、生命線の制球が乱れることのないよう細心の注意を払った。

 投手たちの奮闘の跡が残るマウンドで、深く掘られた場所に踏みだす左足を着けば、バランスを崩して制球が乱れる恐れがある。掘られた場所を避けられるよう、ブルペンでは歩幅を変えて投げる練習を実施。投球プレートもあえて中央付近を使い、荒れていない場所を踏むことを選んだ。

 低めを徹底して突き、コースは真ん中付近からシュートとスライダーを内外角に散らしていくスタイル。「気持ちを込めて、どれだけ開き直って真ん中に投げられるか」。入念な準備をした上で、最後は気持ちで勝負に行った。

強靱 きょうじん な心身で黙々と投げ続けたリリーバーは言う。「ヒーローは勝った先発投手と打った野手でいい。それでいいんだよ」。抑えた試合以上に、打たれた記憶が今も強烈に残っている。

かとり・よしたか 高知商高から明大を経て、ドラフト外で1979年に入団。90年に西武にトレード移籍し、97年まで通算91勝46敗131セーブ、防御率2・76。登板数755試合は24日現在、歴代12位。

外野も三塁も、青グラブの名手…高田繁

 巨人が4連覇を目指す1968年、ドラフト1位で高田繁(79)は入団した。「足と肩、守備には自信があった」。そうそうたるメンバーの中、夏場には左翼の定位置をつかんだ。

 左翼線への打球に猛チャージし、クッションを的確に処理して正確な送球を行い、打者走者を二塁でたびたびアウトにした。「高田がレフトだから二塁には行けないと、一塁で止まるケースも出てきた」。「壁際の魔術師」と呼ばれた守備と、つなぎの打撃でV9に貢献した。

 大きな変化が訪れたのは、長嶋茂雄監督就任1年目で最下位に沈んだ75年オフのこと。長嶋監督から「来年はサードをやってくれ」と言われた。未経験の内野守備。面食らったが、「やらなきゃ試合に出られない」と連日多摩川グラウンドで指揮官の猛ノックを受けた。

 折しも翌76年から、後楽園球場は日本初の人工芝の球場に生まれ変わろうとしていた。準備のため、多摩川の一部も同じ人工芝が敷かれ、「人工芝の打球の速さに慣れることができた」。持ち前の強肩を生かして安定した守備を見せ、三塁でもダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を受賞。「守備を見てもらいたい」と当時珍しかった青のグラブを使い続けた外野手が、三塁でも名手として歴史に名を残した。

たかだ・しげる 大阪・浪商高から明大を経て1968年にドラフト1位で入団し、新人王。71年に盗塁王を獲得。80年まで通算1512試合出場、1384安打、139本塁打、499打点、打率2割7分3厘。ダイヤモンドグラブ賞創設から外野手、三塁手で6年連続受賞。

悔しさも背負う重責・代打の切り札…淡口憲治

 淡口憲治(72)は高卒1年目の1971年7月3日、一軍初打席を代打で迎え、遊ゴロに倒れた。しばらくはこう思っていたという。「3、4打席立って打てなかった人の代わりに出て、1打席で打てるわけがない」――。

 代打で好結果を残さなければレギュラーへの道も開けない。川上哲治監督の隣で三塁コーチャーへのサイン伝達係をこなして試合の流れを学び、先輩の打撃を目で盗んだ。土井正三への代打で出て凡退し、大ベテランに謝罪すると「お前は悪くない。謝るくらいなら打て」と諭された。代打を送られるチームメートの悔しさも背負う重責も知った。

 超音速旅客機になぞらえ「コンコルド打法」と命名された打球の速さを武器としつつ、代打のルーチンも確立した。先発完投型が多かった当時、ベンチから対戦相手をじっくり観察することができた。配球を分析して狙い球を絞り、さらに投手のモーションとスイングのタイミングを合わせた。グラウンドに出ると、ベンチの中では分からない照明の明るさに目を慣らす。万全を期して打席に立った。

 代打の切り札になっても、外野の定位置は簡単には手に入らなかった。「私の代打の人生って、悔しさですよね」。それでも巨人在籍中に積み重ねた代打本塁打は15本、安打は113。退団から40年近くたった今も破られない球団記録だ。

あわぐち・けんじ 兵庫・三田学園高からドラフト3位で1971年に入団。86年、近鉄にトレード移籍。89年まで通算1639試合、1076安打、118本塁打、474打点。代打通算17本塁打は歴代4位。

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