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花文字で「GIANTS」・戦時中は「巨」の一文字、オレンジと黒の登場は?…ジャイアンツのユニホーム変遷

読売新聞 / 2024年10月5日 10時0分

 巨人軍のユニホームは長い歴史の中で様々な変遷をたどってきた。ユニホームに詳しいコラムニストの綱島理友さんに歴史を聞いた。

 1935年、日米野球のために巨人軍の前身である大日本東京野球倶楽部が米国遠征へ出発した。約5か月の遠征中に「東京ジャイアンツ」というチーム名が使われるようになり、帰国後、東京・新橋の旅館に集まった選手に、「GIANTS」と胸に書かれた白いユニホームが配られた。グレーだった遠征時のものが初のビジター用とすれば、帰国後の白いユニホームが初のホーム用と位置付けられるという。

 文字の線の中央付近や端を膨らませた「花文字」と呼ばれる特徴的な書体が、この時に使われた。綱島さんは「当時ニューヨークが本拠地だった米ジャイアンツも花文字を使っており、意識したものではないか」と推測する。以降、花文字が継承されていく。

 時代は下り、国際社会で日米が対立するようになると、野球は「敵性スポーツ」と非難され始めた。職業野球はアルファベットの使用をやめ、胸の文字は「巨」の一文字に。戦争が激化した43、44年には帽子がカーキ色の戦闘帽になった。

 戦後間もない時代は、全国的に物資が不足した。綱島さんが名二塁手の千葉茂(2002年、83歳で死去)から聞いたところによると、岡山県で入手したユニホーム用の生地を没収されないように、千葉が自ら深夜にトラックを運転して大阪のメーカーに運んだこともあったそうだ。

 おなじみのオレンジと黒が登場したのは53年。この年、米ジャイアンツのキャンプ地・カリフォルニア州サンタマリアで春季キャンプを行っており、現地制作したユニホームにジャイアンツのチームカラーが取り入れられた。65年からV9を彩ったのは、袖やパンツに2本線が入った「ダブルライン」。61年に川上哲治が監督に就任したのと同時に取り入れられ、黄金期を象徴するデザインになった。

 70年代前半まで、素材には綿やウールなど天然素材が使われていた。当時の技術では真っ白な色を出すのが難しく、白よりも少し暗いクリーム色をしていたという。化学繊維の普及で純白も使えるようになっていったが、巨人は89年までクリーム色を使い続けた。綱島さんは「ファンや選手になじみのある色を再現していたのでは」とみている。

 93年に長嶋茂雄が監督に復帰すると、首回りから胸を通って腹部まで伸びる「ラケットライン」が導入された。大リーグで流行していたクラシック・スタイルを取り入れたものだった。ベース色のオフホワイトと合わせ、刷新感を打ち出した。

 近年は、海外スポーツブランドがサプライヤーを務めるようになった。デザインを少しずつ変えながらも、伝統は紡がれている。

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