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忠犬ハチ公が「お手」をする写真、91年前の読売新聞に…亡き飼い主・上野英三郎博士を待つ姿紹介

読売新聞 / 2024年10月5日 8時16分

1933年11月23日の読売新聞に掲載されたハチ公の記事と写真

 東京都あきる野市の民家に長年保管され、今年2月に渋谷区郷土博物館・文学館(渋谷区東)に寄贈された忠犬・ハチ公の写真が、91年前の読売新聞に掲載されていたことがわかった。当時の紙面をめくっていくと、この写真の掲載後、ハチ公関連のニュースは一気に増え、さながら「フィーバー」の様相に。日本中の人がハチ公を慕い、その死を悼んだ様子が伝わってくる。(松下聖)

「世界の名犬」

 写真は、ハチ公が「お手」をしているように見えるシーンを収めたもので、1933年11月23日付の読売新聞朝刊7面に掲載されていた。記事の見出しは「世界の名犬に……純情のハチ公 渋谷駅であたたかい『晩餐ばんさん会』」。ハチ公が、亡くなった飼い主の上野英三郎博士の帰りを渋谷駅で待ち続けていることを紹介したうえで、国際的な愛犬家組織「ポチクラブ」の名誉会員に推薦されたなどと紹介した。

 この記事以降、渋谷駅前でのハチ公像設置を報じた「ハチ公の銅像 渋谷駅頭に建てる」(34年1月9日付)や、教科書の教材として採用されたことを伝える「国定教科書にのる 忠犬『ハチ公』 童心に強い感銘」(34年8月21日付)など、ハチ公関連のニュースが立て続けに取り上げられるようになった。

 35年3月にハチ公が死んだ時の記事は、夕刊2面のトップ。「『恩を忘れるな』の主 忠犬ハチ公の死 数へ切れぬ 名誉の生涯」との見出しで大々的に報じた。亡きがらに手を合わせる人々の写真も掲載した。

 31年に始まった満州事変を契機に軍部が台頭し、戦争の足音が近づきつつあった当時の日本。忠誠や名誉を重んじる時代の空気が、ハチ公を時代の寵児ちょうじに押し上げたとの見方もできる。

詳細は不明

 読売新聞のハチ公報道の先駆けになったといえる「お手」写真は、あきる野市の五味堅治さん(91)の父親で、渋谷駅の駅員だった嘉三郎さんが、駅前でハチ公に食べ物を与えようとした場面とされる。長年五味さんが保管していたが、今年2月に同館に寄贈し、今月1日まで開かれていた新収蔵資料展で展示されていた。

 ただ、嘉三郎さんは五味さんが子どもの頃に亡くなっており、五味さんは詳細な撮影の状況や撮影者について知らされていなかった。ハチ公に詳しい同館学芸員の松井圭太さん(56)も読売新聞での掲載を把握していなかった。

 一方、当時の紙面を見ても、写真の撮影状況や撮影者の名前は記載されていない。読売新聞は戦時中の45年5月、空襲により銀座と有楽町にあった社屋が焼け落ち、多くの資料が失われたこともあり、写真の詳細は不明なままだ。

 松井さんは「当時の新聞記者は撮影した写真を被写体となった人に渡すことが多く、ハチ公の別の写真でもそうした事例がある」と指摘し、今回の写真について、「読売新聞の記者やカメラマンが撮影して嘉三郎さんに渡した可能性がある」と推察。「嘉三郎さんが亡くなり、戦争もあったのに五味さんの家族が写真を90年以上持ち続けていたのは、それだけハチ公のことを大事に思っていた証拠。当時は子どもから大人までみんなハチ公が好きだったのでしょう」と話した。

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