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かつて「天才キッズダンサー」と呼ばれたMAiKA、「戦闘民族」としてバトルに出続ける理由

読売新聞 / 2024年10月4日 16時58分

取材終わり、自身の映像が映し出されたデジタルサイネージを嬉しそうに記念撮影していた

 日本のストリートダンス界をリードする女性がいる。かつて「天才キッズダンサー」と呼ばれたMAiKA、26歳。その輝かしいキャリアと、それを支えた彼女のバトルにかける思いに迫った。(デジタル編集部 古和康行)

 「天才」はいつまで「天才」でいられるだろうか。幼いころの才能が(すた)れることなく、そのまま伸び続けることは難しい。若く、大きな才能には大人が群がる。世間は過剰に持ち上げ、意図しないままに本人の才能を(くじ)くこともある。ただ、MAiKAのキャリアは、そんなこととは無縁だ。「ダンスが楽しいから続けてきただけ」

 10月3日夕。東京・新宿の「アンダーアーマーブランドハウス新宿」でダンスワークショップを行う彼女は、杖をついて現れた。「明日からフランスのダンスバトルでジャッジに入ることになっていて……」と語る。9月末に韓国のダンスバトルに出場した際、半月板にヒビが入るケガに見舞われたのだという。しかし、その大会では「アドレナリンがぶわーっとなって」踊り続けた。「明日からの大会は出場できなくなったんですけど、そしたらジャッジとして参加してほしいと言われて……」。足を引きずりながら、恥ずかしそうに笑った。

「カリスマ天才キッズダンサー」

 4歳でストリートダンスを始めた。きっかけはアイドルグループ「モーニング娘。」だった。テレビに映る「LOVEマシーン」に心を奪われた。「ダンスをやってみたい」と近所のスタジオに通いだした。のちに、このスクールを見学に来ていた2歳上のKYOKAと出会い、2人で「RUSH BALL」を結成。小学2年生の頃には、KYOKAの父親が知り合いだったという伝説的なダンサー・Wild Cherryに師事し、頭角を現す。ほどなくテレビ出演を果たし、人気歌番組などにも出演するようになった。

 そんな彼女の名前が世界に広まったのは小学4年生の時。「ダンスバトルに軸足を移した」頃だった。

 日本最高峰のストリートダンスイベント「ダンスアライブ」に新設されたキッズ部門で2008年に準優勝。このパフォーマンスを見ていたジャッジから誘われて、世界最大のフランスのストリートダンスコンテスト「JUSTE DEBOUT(ジュストゥ・ドゥブ)」のHIPHOP部門に出場すると見事、決勝進出を果たした。優勝こそ逃したが、世界最大規模のコンテストで、しかもキッズダンサーとしてではなく、全年齢を対象にした大会で大活躍し、「カリスマ天才キッズダンサー」と呼ばれるようになった。「世界から注目してもらった。海外の大会に呼んでもらえるようになった」と振り返る。

 そこからのキャリアは輝かしい。RUSH BALLとして様々な大会に出場し、12年には「JUSTE DEBOUT」のHIPHOP部門で準優勝、16年には日本人として初めて同部門で頂点に立った。19年には国内開催の世界大会「ワールドダンスコロシアム」を制した。記者から「順風満帆ですね」と言われ、「そうなんです」とMAiKA。「ダンスバトルが盛り上がってきたときから、そっちをメインに活動してきて、結果がついてきた」とさらりと語った。

 また、高校卒業後には、振付師としての活動を本格化させた。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)にショーの振付師として加わると、自身が手掛けたショーが2022年、IAPPA(国際遊園地・アトラクション協会)のベストアトモスフィア賞を受賞。翌23年にはSNSを中心に大流行を巻き起こした、Adoさんの「唱」を用いた「ゾンビダンス」の振り付けにも携わった。ダンススタジオ「ピクシー」(兵庫県宝塚市)も経営し、後進の育成にもあたる。

後のパリ五輪代表を破り…

 今から4年ほど前、自身が指導するレッスン中に熱が入りすぎて脚のじん帯を切った。その古傷は幾度となく痛み、先月の韓国の大会でも半月板を損傷。それでも、バトルに出れば「アドレナリンが出る」。「楽しいから」という理由だけで、悲鳴を上げる体にむち打ち、彼女は踊り続ける。彼女のキャリアはバトルと共にあると言っても過言ではない。

 そんなキャリアの中にはいくつものハイライトがある。歴代のヒット曲でダンスバトルをする「Red Bull Dance Your Style(レッドブル・ダンス・ユア・スタイル)」もその一つ。国内初開催だった2018年の日本大会で、MAiKAは初代チャンピオンになったのだ。

 「初開催だったので、とにかく各ジャンルのトップダンサーを片っ端から集めた」(大会関係者)と振り返るこの大会。準々決勝でMAiKAは後にパリ五輪日本代表となる半井重幸(ダンサー名:Shigekix)と対戦した。当時からブレイキンのトップランナーだった半井。MAiKAも「どうせシゲちゃん(=半井)が優勝やろ」と思っていたが、音楽に自分の動きを完璧に合わせるダンスで会場を味方につけて、半井を圧倒。勢いそのままに優勝を果たす。翌2019年の世界大会にはワイルドカード枠で出場し、4強入りを果たした。

 「ダンス・ユア・スタイルはみんなが知っている曲で戦うから『共感できる』バトル。ヒット曲を使うこともあって、会場の空気を味方につけることが大切だという学びがあった」と振り返る。

「バトルに出続ける」

 今年4月に行われた「ダンスアライブ」では、オールスタイル部門で優勝を果たした。KIDS部門で優勝してから15年後の栄冠だった。レッドブル・ダンス・ユア・スタイルの2022年大会の世界王者、THE D Sorakiを初戦で破っての頂点に「HIPHOP部門で勝てない時期が続いてからオールスタイルで15年ぶりの優勝。大人の部で勝てたことは本当にうれしかった」と語る。

 自身のチーム・RUSH BALLは今年で活動20周年を迎えた。「スーパーキッズ」としてメディア出演、ダンスバトルで輝かしい結果を残し、振付師としても成功。経営者としても辣腕(らつわん)を振るう。ダンサーとして考えうる成功を全て手中に収めているが、「どんな仕事をしていようが、どんな状態になろうが、バトルには出続けたい」と語る。

 なぜ、それほどまでにバトルにこだわるのか――。そう問われて、少し考え「人と対峙(たいじ)する感覚が楽しくて……」と答えた。ひょっとしたら、理由や大義はいらないのかもしれない。これから先、どこまで体が壊れても、どれだけ名声を手に入れても、彼女は戦い続けるのかもしれない。

 インタビューの終わりにそれを確信する一言を彼女は口にした。「私、戦闘民族って言われるんです」

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