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Jリーグに植え付けた「世界基準」、ブラジル代表主将・ドゥンガが残したもの…福西崇史さん「めちゃくちゃ怒られた」

読売新聞 / 2024年10月8日 10時0分

ピッチサイド 日本サッカーここだけの話

 サッカー元日本代表で、J1・ジュビロ磐田などで活躍したサッカー解説者の福西崇史さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。元ブラジル代表で「鬼軍曹」の愛称で親しまれたドゥンガさんとの「師弟関係」について語り、1990年代後半から2000年代前半のジュビロ「黄金期」を振り返った。

ゴン、藤田、名波、スキラッチ…

 ジュビロはJリーグが10チームで開幕した翌年の1994年、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)とともにJリーグに加わった。福西さんがジュビロに入団したのは、さらに翌年の95年だった。

 「すごい人たちばかりいるっていうのが印象。そもそもプロにいけるか・いけないかの人が、プロにいけた時点ですごいと思っているわけ。中山(雅史)さんを筆頭にそうそうたるメンバーがいる。テレビで見ていたような人が」

 福西さんが入団した当時は、中山さん以外にも、藤田俊哉さん、W杯イタリア大会で得点王を獲得したスキラッチさん(今年9月に死去)、オランダ・アヤックスなどで活躍したファネンブルグさんなどが在籍。福西さんの同期には名波浩さん(現・日本代表コーチ)、さらに後輩として高原直泰さんらが入団してくる。

FWからボランチにコンバート

 入団から半年、守備的MF・ボランチへのコンバートと引き換えにトップチームに昇格。高卒ルーキーが入団半年でトップチームに上がるのはまれで、「驚くくらい早かった。(FWだったから)守備したことはないけど、『やりますっ』って。でも、トップの練習についていけなくて。基本技術に差がありすぎて、度肝を抜かれるくらいショックで。そこから寝られない日々」

 「ファネンブルグ、俊哉さん、名波さんたちのボール回しの練習に俺も入るわけ。ボールが取れない」

 タレントが豊富なジュビロMF陣の練習に加わることで、必然的に守備力が鍛えられていった。

 「練習が終わって部屋に帰って倒れて寝る。すげー参ったな、あの時は」

 だが、オフト監督はなぜ福西さんをFWからボランチにコンバートさせたのか。

 「最近聞いたんだよ。何でボランチにしたんですかって。姿勢もいいし、(相手を)背負うより、前を向いてボールを運ぶほうがいいって。(幼少期から)体操をしてたから高いボールも足で届くし、コントロールもできる。守備でも足を出せるから、『プレーサークル』が広いって言われたの」

「鬼軍曹」ドゥンガ

 福西さんが入団した95年夏、新たにチームに加わったのが、前年のW杯アメリカ大会で優勝したブラジル代表の主将、ドゥンガさんだ。

 「94年のアメリカW杯を見てるわけですよ。(W杯決勝のPK戦でイタリア代表の)バッジョ外したーって。で、優勝カップを上げている人がすぐいるじゃん。マジかよって。だから、(福西さんの地元・愛媛県)新居浜の少年と世界一のキャプテンが一緒のポジションでやっている」

 鬼軍曹の愛称そのままに、ドゥンガさんがジュビロの選手たちをどなりつけているシーンは今もサッカーファンの印象に強く残っているだろう。

 「めちゃくちゃ怒られた。でも、事細かに教えてくんねぇじゃん。プロなんて。だから俺が一番最初にめちゃくちゃ怒られた」

 彼はどんなことに怒っていたのだろうか?

 「同じミスを絶対するなって言っていた。ブラジルのイメージはロナウジーニョのようなトリッキーでテクニシャンなイメージ。じゃなくて、めちゃくちゃシンプルなわけ」

怒る顔が目の前に

 ボランチを始めたばかりの福西さんだったが、「王国」からやってきた闘将から盗めるだけ盗んだ。

 「1回目のミスはみんなするからしょうがない。ただ、工夫もなく、同じようなミスしたときに激怒。怒る顔が目の前にある。試合中でもそうだし、練習中は特に」

 一方で、プライベートのドゥンガさんは人が変わったように優しかった。

 「劇的に優しい。グラウンドの中ではすごく厳しいけど(サッカーを離れると)すごく優しくて。いまだに家族は元気かって言われる」

 チームのメンバーをよく食事に誘ってもいたようだ。

 「(誘われることに)最初はみんな嫌がってた。めっちゃ嫌やん、どうせ怒られるし、みたいな。だけど打ち解けてきてからは、みんなでパーティーするとなったら、『男がバーベキューをするもんだ。奥さんは座っとけ』って。ドゥンガのサラダが一番うまかった。あれからバルサミコとオリーブオイルを知った(笑)」

Jリーグを育てた王国からの移籍組

 ジュビロは前期・後期の2ステージ制だった1997年にセカンドステージ(後期)で優勝し、ファーストステージ(前期)覇者の鹿島アントラーズとのチャンピオンシップに勝利して初の年間チャンピオンに輝いた。

 2002年はファーストステージとセカンドステージを両方制して、年間チャンピオンを獲得。2003年シーズンまでに、年間チャンピオン3回、天皇杯1回、ヤマザキナビスコカップ1回を制して黄金期を迎えていた。

 ドゥンガさんは1998年にジュビロを退団したが、チームに与えた影響は計り知れない。

 「プロフェッショナル。プロリーグ(Jリーグ)が出来たばかりで、まだアマチュア気質の人たちがいっぱいいた。プロとして命を懸けるぐらいのことを教えてくれたし、厳しかったよ。負けた試合の後のバスの中で笑っていたらいきなりキレて、『負けてんだぞ!』って」

 当時は各国のトッププレーヤーがJリーグのチームと契約し、W杯出場経験のなかった当時の日本サッカー界に「世界基準」を植え付けた。

 「ブラジル代表のサンパイオ、レオナルド、ジョルジーニョとか、王国のプロフェッショナルを学んだ。Jリーグにとって大きな影響だったと思います」

 そんな一流の選手たちにもまれた経験が、福西さんを代表で活躍できる選手に育てたとも言える。

 「ドゥンガとの出会いがなかったら俺はここにいない。絶対って言ってもいいぐらい」

プロフィル

福西崇史(ふくにし・たかし)

 サッカー解説者。高校を卒業後、Jリーグ加盟2年目のジュビロ磐田に入団。ハンス・オフト監督(当時)にボランチへのコンバートを勧められ、同じ年に入団したブラジル代表キャプテンの「鬼軍曹」ドゥンガとプレー。日本代表ではW杯の日韓大会、ドイツ大会に出場。2022年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に進み、翌年大学院を修了した。1976年生まれ。愛媛県出身。

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