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成績優秀でも貧しくて進学断念、すしざんまい社長・木村清さんの少年時代…小学校入学前からバイト三昧

読売新聞 / 2024年10月11日 10時0分

 全国にすしチェーン「すしざんまい」を展開する「喜代村」社長の木村清さん(72)。CMなどで両手を広げてニコッと笑う姿を一度は見たことがあるだろう。快活で豪胆な成功者という印象だが、何よりも少年時代の苦労がかてになっているという。(読売中高生新聞編集室 鈴木経史)

 「5、6歳くらいの頃でしょうか。知り合いの法事に出かけた母が、精進しょうじん落としで出されたマグロ2切れを持って帰ってきてくれたんです。小さなマグロを家族で分け合って食べたんですが、あんなにおいしいものはなかった。母はいつも『2切れのマグロも、半分にすれば4人で食べられる。みんなで分け合えばおいしいんだよ』と言っていました。それが今の私の原点になっています。

 実家は農業をやっていて、もともとは裕福な暮らしをしていたようなのですが、私が4歳になる直前に状況が一変しました。父がカモ撃ちに出かけた帰り道、トラックにひかれて亡くなったのです。その後、農業以外にも事業を行っていた父に2000万円もの借金があることがわかりました。事業は順調だったのでおかしな話なのですが、母は文句一つ言いませんでした。所有していた広い田んぼは絶対に手放さず、借金を返しながら女手一つで私たち幼いきょうだいを育てていくことにしたんです」

中学は学年トップクラス、でも…

貧しい暮らしの中でも、木村少年はたくましく成長していく。家計を助けるため、小学校入学前から“バイト三昧”の生活を送るようになる。

 「幼稚園にも行けなかったので、ニワトリを飼い、そのタマゴを売ってお金を稼いでいました。大学で研究用に使うと聞いて、ウサギを育てて売るなんてこともやりました。いまの中高生のみなさんは驚くかもしれませんが、当時はまだ戦後で、日本全体が貧しく、幼い子どもでも働くことは珍しくなかったんです。

 小学校に入ってからは農作業の手伝いもやりましたし、登校前に新聞配達も始めました。3年生になると、ゴルフ場でお客さんのバッグやクラブを運ぶキャディーの仕事までやるようになりました。

 最初はゴルフの知識なんて全然ありませんから、困ったこともありました。例えば、クラブの一種に『ブラッシー』というのがあります。あるとき、お客さんから『ブラッシーを取ってくれ』と言われて、『歯を磨くんですか?』なんて聞いたら、『バカ野郎!』って怒られてしまいました。いまでは笑い話ですね(笑)」

中学校に入ってからもバイト けの日々は続いた。にもかかわらず、成績はずっと学年トップクラスだったという。

 「勉強する時間なんてほとんどありませんよ。試験は全部一夜漬けです。でも、教科書の中身は一度読めば全て頭の中に入りました。たぶん、生活に必死だったからなんでしょうね。短い時間でも、ものすごく集中できたんだと思います。

 中学3年生のときには5教科で学年1位になりました。千葉県内有数の進学校、県立東葛飾ひがしかつしか高校にも十分入れると言われました。ただ、うちにはお金がありませんから、高校の授業料を払ってもらうのは難しい。担任の先生からは『高校に行かないなら入試は受けないでくれ』と言われました。学年2位の子が合格する可能性を下げないためです。

 悔しくなかったかって? うーん、当時はそんなふうには考えませんでしたね。だって、貧乏なのは現実でしたから。卒業後は、北海道に行って酪農らくのうでもやろうかと思っていたのですが、先生からのアドバイスで大きく運命が変わります。『自衛隊』という選択肢です。

 先生は『航空自衛隊の第4術科学校生徒隊という部隊なら中卒で入れるし、お金をもらいながら勉強もできる』というのです。『それだ!』と思いました。全国で100人程度しか入れない狭き門だったのですが、無事にパス。こうして中学を卒業した私は、15歳で自衛官としての道を歩み始めることになったのです」

(つづく。次は「過酷な自衛隊生活」編です)

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