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「先にまいってはダメだ」と断酒、わずか1分の再会に「会えた!」…袴田巌さんを支え続けた姉・ひで子さんの58年

読売新聞 / 2024年10月14日 13時40分

 静岡地裁が袴田巌さん(88)の再審無罪判決を言い渡し、9日に確定するまで、姉・ひで子さん(91)は58年にわたり弟を支え続けた。暗闇の中で闘い続けた半生を、支援者たちの記憶を通じて振り返る。(中島和哉)

眠れない夜

 1966年6月30日、清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害される事件が発生し、袴田さんは8月18日に逮捕された。ひで子さんは、弟の無実を信じていたが、報道や世間の風潮は袴田さんを犯人視。息を潜めて暮らした。

 当時は、袴田さんの兄・茂治さん(故人)が集会を開き、袴田さんの無実を訴えていた。袴田さんの同級生、渥美邦夫さん(89)は集会で事件を知り、支援団体を設立し、署名活動やビラ配りを始めた。

 眠れない夜が続き、ウイスキーに溺れるひで子さんだったが、渥美さんらの活動が始まると、「自分が巌より先にまいってはダメだ」と断酒して活動に加わった。渥美さんは「前を向くきっかけになれたかもしれない」と振り返る。

途絶えた面会

 ひで子さんは面会のため、東京拘置所に足しげく通ったが、袴田さんは身柄拘束で心を病み「拘禁症」を発症。支離滅裂な発言や面会拒否が増え、95年に面会が途絶えた。当時、支援活動をしていた豊島学さん(79)は、面会結果を無表情で語るひで子さんについて、「先の見えない闘いに不安や無力感があったように見えた」と語る。

 静岡大教授の笹原恵さん(61)は、弟の様子を案じて落胆するひで子さんを支えた。

 99年2月10日、3年7か月ぶりの面会が実現した。わずか1分の再会だったが、「会えた!」と興奮気味に語ったひで子さんが忘れられないという。2003年には30分の面会ができた。袴田さんは症状が悪化し、ひで子さんに「あんたの顔は知らない」「メキシコのばばあ」などと言ったが、ひで子さんは、弟に会えた喜びから、思わず笑ってしまったという。

 「おいしい物を食べても、きれいな景色を見ても、心ここにあらずだった」。04年から姉と弟を追い続けるドキュメンタリー監督の笠井千晶さん(49)は、不定期な面会が続く日々を送るひで子さんについて話す。「巌が獄中にいるのに、自分だけ楽しむ気分になれない」と度々こぼしていたという。

釈放後の10年間

 14年3月27日、袴田さんが約48年ぶりに釈放されると、ひで子さんは英気を取り戻した。迎えに行った拘置所の応接室で弟の手を握りしめたひで子さん。「巌が出てきた時点で勝ち」と周囲に語ったという。

 「『巌は無実だと我慢せずに言える』と喜んでいた。釈放後は、現在のような心からの笑顔と明るさになった」と笠井さんは変化を語る。

 釈放から10年が過ぎた今年、静岡地裁は再審公判で袴田さんに無罪を言い渡した。ひで子さんは釈放後の10年間について、「動きがなく、時間だけが過ぎていった48年より長く感じた」と振り返り、笑顔で58年間の闘いに決着をつけた。

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