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映画「二つの季節しかない村」…アナトリアの壮大な景観・緊迫の会話で観客のみこむ、トルコの名匠の傑作

読売新聞 / 2024年10月12日 14時0分

主人公・サメット先生のお気に入り生徒、セヴィム(エジェ・バージ)

 「二つの季節しかない村」(公開中)は、カンヌをはじめ、世界の映画祭で受賞を重ねるトルコの名匠、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督による新たな傑作。見れば、吸い込まれる。舞台となる東アナトリア地方の壮大な景観に。スリリングな会話に。ひとごとと切って捨てることのできない切実なドラマに。上映時間は3時間超あるが、体感時間は映画が進むに連れて加速する。(編集委員 恩田泰子)

カンヌ最高賞受賞のヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督

 小さき者、人間。この映画は、壮大な風景との対比をもって、その存在のかなしさを観客に直感させる。そんな直感を、濃密にしてスリリングな会話をもって、確信に変える。それは、ジェイランが、過去の作品、たとえば、カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた「雪の(わだち)」(2015年)などでもやってきたことだけれど、その手さばきは、やっぱり鮮烈。加えて本作は、いまを生きる人間にとって切実な問いをはらんでいる。混乱や争いに拍車がかかる現代の世界に、ひとりの小さな人間が、いったいどう向き合っていくべきなのか、という問いを。

 長いし、重たそう……と思うかもしれないが、いえいえいえ。もちろんずしんと来る作品ではあるけれど、深刻なだけではない。この映画は人間を、時に滑稽に、時に驚くほど軽やかに描き出す。

主人公は尊大で狭量だが…

 映画の始まりは、一面、雪が積もった白い大地。画面の奥のほうに小さなバスが現れ、少し止まって去って行くと、そこには、もっと小さな人の姿。動き出したその人物は、こっちに向かって歩いてきているようだが、映し出される世界が、白すぎて、広すぎて、距離がつまっているのかどうか、最初のうちはよくわからない。ただ雪の重みを感じさせる足音と荒い呼吸が聞こえてきて、それを発している男にカメラが同道し始める。その男が、主人公の美術教師、サメット(デニズ・ジェリオウル)だ。

 トルコ東部。冬が終わればすぐ夏が来る辺境の村の学校に派遣されて4年目。休暇を終えた彼は、新学期に合わせて村に戻ってきた。独身で、社会科教師のケナン(ムサブ・エキジ)と男ふたりで共同生活中。着任時からの願いは、大都市イスタンブールへの転任だ。知人の紹介で、片方の足に義足をつけて生活する女性英語教師、ヌライ(メルヴェ・ディズダル)と知り合うが、自分は「いずれ出て行く」からと、ケナンに彼女との交際を勧める。

 サメットの言葉、ふるまいは、一見、思慮深く鷹揚(おうよう)なようでいて、実は、言い訳がましく尊大だ。

 サメットにはお気に入りの女子生徒がいて、彼女もサメットを慕ってきた。名前は、セヴィム(エジェ・バージ)。だが、あることに対するサメットの態度がきっかけで、二人の関係は一変。波風が立ち、サメットはいらだつ。自分で引き合わせたくせに、ヌライとケナンが親しくなっていくことも彼の心をざわつかせる。3人でいる時に、サメットをさておいて、ヌライがケナンの写真を撮り始めた時の目つきと言ったら。狭量。小さい。でも、彼が抱くあせりのような気持ち、まったくわからないではない。

遠近法

 サメットが、教室のホワイトボードに「遠近法」という言葉を書きなぐり、ノートするよう、生徒に指示する場面がある。だが、サメット自身は、世界と自分との間の遠近感、距離感、関係性をほとんど見失っている。村を出ることばかり考えているが、それで何をどうしたいのかは、はっきりしない。

 彼は、折に触れて村の老若男女の写真を撮る。被写体たちの姿は、それぞれが生きる場所、あるいは、ほかの誰かとの結びつきを感じさせる。ケナンをはじめ同僚たちには背負っている生活がある。ヌライにはアンカラでの学生時代、平和を求める活動に身を投じていた過去、そして、過酷な人生と精いっぱい切り結んでいこうとする現在がある。では、サメットには何が?

 この映画の白眉、サメットとヌライが繰り広げる12分超の会話シーンで浮かびあがってくるのは、サメットの逃げの姿勢だ。今の世界のありようについて、論評はしても、自分で何かする気はない。それに対してヌライは問う。思うところがあるのならば、世界にかかわるべきではないかと。彼女の言葉はもちろん、目の前のサメットに向かって発せられたものだが、思わず我が身を振り返りたくなる観客も少なくないだろう。手をこまねいているうちに世界がどんどんきなくさくなっていく今だからこそ、なおさら。

 緊迫感に満ちた会話の後、二人は思いがけない時間を過ごす。それは、サメットにとって思うつぼの展開のようだが、実はそうではない。この映画に登場する男と女の関係を回しているのは、実は女だ。会話シーンで言及される「擦り切れた希望」の可能性を見せるのも。そのことに気づいた時のサメットの複雑な表情といったら。ちょっと胸がすく。

乾いた草の感触

 終幕、観客は、曲折を経て、ほんの少し素直になったサメットの内なる声を聞く。冬は終わり、夏の日差し。視界はひらけ、足元には、重たい雪ではなく、強い日の光に照らされて黄色く乾いた草。彼はそれを踏みしめながら、村での時間を振り返る。

 サメットが内なる小さな変化を起こしたからといって、世界が変わるわけではない。けれども、見ているこちらのこころもちは変わる。彼が再発見しているであろう、草の軽い感触と、そのありがたみを想像すると、少し呼吸が楽になる。

 それが、世界の問題とどう関係あるのかと言うなかれ。取るに足らぬ存在などない。それを心の底から感じずにしては、本当の変化は訪れない。この映画は、虚実の境を超えて、観客にその第一歩を体感させるのだ。

 脚本は、ジェイランと、妻のエブル・ジェイラン、アクン・アクスの共作。アナトリアでのアクスの3年間の教職経験が物語の土台の一部になっているという。サメットは写真を撮るが、ジェイランもまた写真家。この映画からにじむ切実な空気は、作り手たちの偽らざる実感から生まれているように思える。

 また、ヌライの人物造形は、2015年にアンカラで起きたイスラム過激派による爆破テロで被害を受けた実在の人物に影響を受けているらしい。演じたメルヴェ・ディズダルは、その演技で23年のカンヌの最優秀女優賞を受賞している。

「二つの季節しかない村」(英題:About Dry Grasses)=2023年/トルコ・フランス・ドイツ/上映時間:198分/字幕:大西公子、監修:野中恵子/配給:ビターズ・エンド=10月11日(金)より、東京・ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

 ※場面写真=(c)2023 NBC FILM/ MEMENTO PRODUCTION/ KOMPLIZEN FILM/ SECOND LAND / FILM I VAST / ARTE FRANCE CINEMA/ BAYERISCHER RUNDFUNK / TRT SINEMA / PLAYTIME

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